しかし、別な部署とこっちの部署との連絡が悪く、しかも、両方の部署の上司から部下への
連絡も不十分だった。
簡単に言うと、横の連絡も縦の連絡も悪いってこと。
本当なら私の分の仕事は、後かたづけを含めて1時間程度で終わる予定だった。
しかし、こんな状況だから、必要なモノの調達も悪く、本来なら別の部署の人からやってもらうはずだった
モノの調達もこっちの部署でやらなければならなかった。
結局、本当なら1時間ほどで終わるはずの仕事が実質1日仕事になってしまった。
途中、昨日の「話の分かる人」が手伝いに来てくれたからまだ良かったモノの、そうでなかったら
もっと大変なことになっていた。
その人は「これじゃぁ、まるで漫画だ。いつも指示出す方は行き当たりばったりで、
うまくいかなかったら俺達のせいだ」と愚痴っていた。
私「段取り悪すぎますよ。いつものことですけど(苦笑)
第三者から見ればこれは結構おもしろい漫画になるでしょうね。
笑い(っていうか冷笑)もあるし、オチも必ず付きますから(笑)
でも、「登場人物」の立場からすると、笑えないです。面倒なだけだったり、疲れるだけだったり、
それでいて能率ばかり求められて…」
仕事を終えて家に帰ってから、このことを父親に話したら、
「昔から、段取り8割、仕事2割っていうからな」って言っていた。
「段取りが出来ていると仕事が楽なんだ。出来てないと仕事がはかどらない。」
やっぱり、つまらないことで苦労させられているんだな…。
だが、さすがに私も我慢の限界が来て「アンタには俺に命令する権限なんてないでしょう。
帰りルートくらいでいちいち文句言わないでください」って言ってやったら、
「俺の言うこと聞けないなら車から降りて歩いて帰れ」とまで言い出した。
(さっきまでは「今度はお前がリーダーなんだから、お前が指示しろ」と言っていた)
いっそ、走っているトラックから飛び降りてみようと思ったが、
トラックの真ん中の席に別な人がいたのでやめた。それに、本当に大事故になったらシャレにならない。
そのかわり、後方などを確認して、急ブレーキを踏んでやった。
降りてから、「お前に後で話しがある!」と完全にぶちぎれていた。
私は、「俺にはない」と返した。
午後からは上司に事情を説明して、この仕事から外してもらった。
さもないと、本当にどうなるか分かったものではない。
万が一に備え、所轄の労働基準監督署の電話番号と場所を調べておいた方がいいだろうか?
そんなことも考えていたが、なによりも辛かったのが、自分のおかれたこの状況だった。
とりあえず、今日はなんとか収まったが、いつでも大爆発する危険性をはらんでいるのは
間違いない。
さて、今日は出勤日だった。この時期はどうしても待機要員がいる。
もし、何事も無ければやることがない。何かあれば、即座に対応しなければならない。
この日は私ともう一人の人が出勤していた。
この人は、私に対し理解のある人だった。だから、何もする事がなければ、「本でも読んでれ」って
感じだった。いちいち、あれしろこれしろって意地でも使おうとするタイプではない。
この人と一緒になることが分かっていたので、あらかじめ「B検3級テキスト」を持ち込んで
ずっと勉強していた。
勉強をやっていると、この試験を受ける目的が達成できそうということがすぐに分かった。
私の狙いはズバリあたったということ。
この試験は「産学共同」で問題を考えているそうだ。ということは、一般の会社がどんなことを
社員に求めているかを示していると言ってもいいだろう。
「世の中、そんな教科書通りには行かない。柔軟性をもって対応しなければならないことが
多いから、そんなの役に立たない。」
そういう意見もあるかもしれないが、あくまでも「基本」がしっかりした上での、「応用」でなければ、
おかしいのではないのだろうか?いきなり面倒な「応用」から入ると、本質を見失うのではないのだろうか?
明らかに本質を見失った行動を私自身にしたり、強制されたりすることが多い。
そういうののせいで、いつも無駄な労力を浪費せざるをえないことが多い。
今日一緒に仕事する人は、話の分かる人なので、この試験を受ける意味を話しても、
全く問題なかった。
「これって、ウチではこうですけれど、本当は○○なんですね?」なんていう疑問が湧いたら
すぐに聞くことができた。
(やっぱり、この人もこの「2つの常識の乖離」に悩まされていたんだ…。と言う気持ちだった)
2時間ほど外に出て仕事する羽目になったが、あとは本当にヒマだったので、
おかげでこのテキストをほとんど終わらせることが出来た。
久し振りに来てみたら、その写真機はデジカメになっていた。
一回撮ったら、デジカメの液晶画面を客に見せて、出来映えを確認することが出来る。
出来映えが良くなかったら、もう一度撮ればよい。良ければ、そのまま専用のプリンタに
データ転送してプリントアウトする。
これもやはり一度に4枚分の写真が出てくるので、それを指定サイズに切って客に渡す。
この証明写真用デジカメは131万画素だそうだ。私が先日買ったデジカメと画素は変わらないが、
よく見ると、操作しやすいような配慮が随所になされているようだ。
写真を撮ってもらって家に帰ってから、捜し物をした。
その際に、今のプリンタに付属していたお試し版の光沢写真用紙(A4版)を見つけた。
「そうだ、この前デジカメで撮った写真をプリントアウトしてみよう」
そう思い立って、プリントアウト時にこの用紙用の設定をして2枚プリントアウトしてみた。
かなり時間がかかるようなので、ちょっと外出してきた(^^;
戻ってきたときには2枚とも出来ていた。
「これ、普通のカメラで撮って、引き延ばししてもらったのとたいして変わらないじゃないか…!?」
自分が写真を撮らせてもらえるようお願いし、自分で写真をとって、
自分でデータ処理して、自分でプリントアウトした。
自分でこんなに凄いのを作ってしまった。それに驚いたし、それがうれしかった。
先日のガタケで桔梗のコスプレをやってられた「ゆーが英留」さんの写真掲載許可が
得られたので、4月30日分の日記に追加しました。
って、今日は小学生理科の話しではない。
今日は仕事の日だった。
例によって詳細は書けないが、仕事内容はちょうど2年前にしたことと同じだった。
違うのは、参加メンバーだった。
今年は、私の上司、私と同じ部署の人で、日常の仕事の腕が凄腕の人。
そして私の3人だった。
この仕事はいつもの仕事ではない。この仕事は上司が一番うまいが、今回は
私と、その同じ部署の人にこの仕事の指示を出すために、上司自身はこの仕事に直接加わらない。
私はこの仕事に近いことは何度もやっていて、ある程度慣れていたが、
この「同じ部署の人」は、この仕事に関しては私よりも慣れていなかった。
もっとも、この機械が故障でもすれば、凄腕ぶりを発揮させることができたのだろうけれど…。
仕事を始める前に、私は2台あるこの機械のうち、古い方を選んだ。
日頃お世話になっている、「同じ部署の人」に対する配慮の意味もあったが、もう一つの意味もあった。
2年前も、この機械を使って同じ仕事をしたのだ。この機械の基礎的な操作方法や、
注意事項などの事前説明もないまま、いきなり実地に送り込まれて…。
現地で説明を受けたが、いきなり体で覚えろと言っても簡単に覚えられるモノではない。
私の場合は、まず体よりも頭で理解できないと、うまくいかない。
こういうタイプの人間に対する配慮は全くなされないと言うのが、ウチの社風らしい。
でもって、いきなり初めから「作業能率」を求められて、うまくいかないとすぐに怒鳴りつける。
久々に、きっと人間として最悪であろうと思われるある感情に頭を支配されそうになった日でもあった。
それでもなんとか2年過ぎた。私がここまで忍耐強い人間だとは思わなかった。
このことくらいは自画自賛してもいいんじゃないのだろうか?
で、2年前と全く同じ機械を選んだのは、「あの時の自分とは違う。今度はちゃんと出来る」
それを示すことで、連中の「教育方針」の浅はかさを明白にしたかった。
そんなことをしても、ただの自己満足にしかならないと言うことは分かっていても。
結果的に言うと、私はすぐにこの作業に慣れることが出来た。
もう一人の人も、慣れるのが割と早かったように思えた。
(条件的には、こっちの機械の方が楽だというのはあるにせよ)
くだらないことでケチつけられずに仕事をやり遂げられた日は充実感がすごく大きい。
とはいえ、久々に仕事して疲れたのも確かだった。
…「結晶」は壊れなかった。いや、壊させなかった。自分で死守して自分で育てた。
私はそう思っている。
でもって、ろくでもないヤツに限って、「俺が育てたんだ」なんて言ったりする。
壊そうとしたことを自覚する能力すらないくせに。
本当はこう言うときにこそ努力するべきなのに(その方が楽でもある)どうしてできなかったのだろう。
ふと考えてみた。
じゃあ、今まで忙しいのにどうしてここまでやってこれたのだろうか…?と。
自分のことを振り返ってみると、不条理な出来事とか、悔しいこと出来事とか、そういうことを何とかしたい。
そういう気持ちが自発的な勉強を支えてきた。
大学時代のように、かえって中途半端に恵まれていると、真剣に物事に当たれなくなる。
どうもそんな気がする。
不幸な時代があって、そこからはい上がろうと努力して、自分でいい環境をつかんで…
そこで本当は努力し続けるべきだった。
だが、どうしても努力を怠ってしまって…。で、また不幸を招いて、でもってそこからはい上がろうと努力する。
だから、休みがあまり長く続いたりすると、緊張感が無くなって、結局はなにも出来なくなってしまう。
ストレスはためすぎると良くないが、逆に緊張感が何にもないのも良くない。
こうした一連のサイクルを振り返ってみてみると、自分がこれから何をしなければならないのか?
その後で、さらにどうしなければいいのかが自ずと分かってくる。
休みの最後になって、ようやく勉強する気が出てきたのだった。
「可愛いなぁ(*^^*)」って気持ちも、エネルギーになりうる(某CG描きの人は「可愛い娘を見たときの煩悩こそ、
CGを描くときのエネルギーだ」とおっしゃっている。私にもその気持ちはよく分かる(爆))
「腹が立つ」とかの一見マイナスのエネルギーもプラス方向に転化して活用することが出来る。
私の場合はどちらかというと、後者のエネルギーの方をよく使っているようだ。
で、せっかくの休みのウチにやってしまおうと思った。
これを直すのには、キャブレターをバイクから取り外して、分解してキャブクリーナーで洗浄して、
汚れや、キャブレター内の穴を空気が通るようにすればよい。
アイドリングがおかしくなる場合、ほとんどはこのキャブの詰まりが原因である。
初めにキャブのドレンからガソリンを抜いてみると、ガソリンが腐りかけているにおいがした。
キャブ分解の様子をデジカメで撮ろうと思ったが、この腐ったガソリンで変になるといやなのでやめておいた。
ちなみにまだガソリンの色はほとんど変わっていなかった(通常は、ガソリンであることを示すために、
オレンジ色の染料がとかしてある)。これが5年モノとかの腐ったガソリンになると、緑色っぽくなる。
臭いもそう簡単に取れなくなる。<マジでキツい
NS50Fの場合は、両サイドカバーを外して、エアクリーナーを外すとキャブレターが外せるようになる。
もちろん、外す前に、エンジンとキャブを繋いでいるナット、ガソリンなどのホースなどを外さないといけないが。
外した後、フロート室、フロート、メインジェット、エアスクリュー、アイドリングスクリューなどを
分解する。スクリュー(ネジ)はどれくらいしまっていたかを確認してから外さなければならない。
これらの調整を誤ると、エンジンを焼き付かせることがある。
でもって、キャブレター内の穴をキャブクリーナーを吹きかけて汚れをとかしながら開通させていく。
ちなみにバイク屋の場合、クリーナーの原液をガソリンと混ぜて、その中にキャブを漬けておくという
方法を取ることもあるそうだ。
このキャブクリーナー、汚れを落とす威力は抜群だが、臭いがかなりきつく、しかも、
かなりひりひりする。特手に傷があったりすると、かなり痛い。
たまに手を洗いながらやらないと、手がかさかさになる。
洗浄が終わったら、新しいゴム製のパッキンなどをつけて元通りに組み立てていく。
キャブレターが組み終わったら、今度はバイク本体に取り付けて、カバー類も元に戻す。
エンジンをかける前に、スロットルワイヤーがきちんと動くか、ガソリンが漏れていないかなどを
確かめてエンジンをかけてみる。
ほとんど一発でエンジンがかかった。しかも、下手すれば一時停止しただけでエンストするような
状況だったのに、アイドリングも安定するようになった。
超低速域から、レッドゾーン寸前まで回して確かめたが、走ったときの感じが、昔に戻ったようだった。
それにしても、あれだけブッ壊れたのは久し振りだと思う。
本当に「くらっ」と来た。「怒り」の感情が激しく出たときも、ひどくなると「くらっ」となるが、
それと似たような状態なのかもしれない。
もっとも、どっちが幸せなのかは言うまでもないが(笑)
怒りでくらっとなることがあるのなら、幸せなことでくらっとなる時がたまにくらいあってもいい。
そういえば、昨日、写真を撮らせてもらった後、
「デジカメ買って良かった」のあとで、「たまにはこれくらいいいこと無いと、生きている甲斐がない」
なんて言ってしまった。「この気持ちに偽りはない」なんて、犬夜叉からセリフも引用したりした(爆)
でも、このセリフ、言われた方からすれば驚きだし、私にしてみれば全然シャレになっていない(汗)
もし、これを言われた人が私の日記を全部見たのなら、その言葉の意味が分かるかもしれないけど(^^;
って、この日記長すぎ(^^;
そして、今日したことは、将来的には昨日の出来事以上に本当にいいことが継続して
起きるようにするための下準備(予備調査)だったりする(謎
でも、願い続けて本当に努力し続ければ、その努力は徐々に報われていくことが、
最近分かったような気がする。
だったら、この先も…と思える。 これが「希望」と呼ばれるモノなのだろう。