日記(2001年1月分)

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2001年

1月20日() 「会社を代表してではなく、私個人としてお礼申し上げます。」

 今日は会社が休み。早速、木・金曜の件で借りたお金を返すことにする。
現金書留使ったのは何年ぶりだろうか?
 借りた1万円と、以下のような手紙をつけて、書留封筒に封をした。
 
○○○○○(株)○○支店 様

 ○○(会社名) ○○(部署名)のよしゆきです。

先日は、急な宿泊で宿泊費が無くて、困っているところを、
(本来私の会社がすべきことなのに)御社の方に宿を探して頂いたり、
宿泊費を貸して頂いたりして、なにからなにまでお世話になりました。

 19日の夜に無事に家に着くことができましたので、
早速20日の午前中に現金書留にて、貸していただいた10000円をお返しします。

 会社を代表してではなく、私個人としてお礼申し上げます。
 本当にありがとうございました。

                                                                               よしゆき

(一部改変)

 自分が所属する会社がどうあれ、私個人は、やるべき事は迅速に、
そして、誠実でありたかった。特にお世話になった人たちに対しては…。


1月19日(金) 「もっといいところなんかいくらでもあるから…」

 朝の目覚めは快適だった。
 その営業所に行こうかとした矢先。会社から電話がかかってきた。
「○○○が、早く届けてくれと言ってきている。なぜ、行けないのなら連絡しなかった?」
「何回かけても出ませんでした。それに、営業所の方の仕事を第一にやらないと…」
「営業所の話なんてしていない。○○○の方に早く行け!」

トラックは営業所内の車庫にある。挨拶をした後で、朝こうしたやりとりがあった旨を話した。
「ウチも困る。こんどまた遅くなったら、本当に大変なことになる。」
両ばさみ状態だ…困った…。
「ま、しょうがない。1時間以内で戻ってきてくれ」
早速その「○○○」の方に荷物を届けてきた。早速とは言っても、やはり1時間ほどかかった。
 その営業所に戻ってきてから、いよいよそのお客さんの所にむけて出発である。
「2WDの2tロングだと、この道はまず無理だろう。だから、途中でウチの4WDのサービスカーに
積み荷を載せ換えることにする」
 私のトラックにはその営業所の人一人が乗ることになった。
 目的地まで2時間近くあるので、その間いろんなことを話した。
「(宿代を)ツケにしろ、なんてこの県の人間ならともかく、そうでなければ、
まずつけになんてできないだろう。」
「この仕事がこれだけ時間がかかるのは命令する奴が自分でやってみれば分かるんだよ。」
「おまえさん、まだ若いんだろ?今は不景気だけど、もっといいところなんかいくらでもあるから…」

もう書ききれないくらい話した。

険しい道に入る直前に荷物を積み替えた。固定していたロープはこの寒さでムチのように
なっていた。顔に当たると非常に痛い。また縛りにくかった。

そのサービスカーでお客さんの所に向かって走る。
「やっかいなお客なんだよなぁ…。明日、携帯の電源を切っておこう(苦笑)」
お客の家に行ってみたが、お客自身はいなかった。みんなほっとしていた。
持ってきた新しい機械をおろして、不具合機を回収する。
 「じゃ、ちょっとやってみてくれ」
 ってなわけで、実際にやってみた。それは問題ないように思えた。
だが…。「……!作動しない!」「きちんと調べたのに!」
 「おい、どうするんだよ。これじゃ、本当に返品されるぞ。何とかならないのか?」
「スパナが一本あればこれは調整できます。これでもダメなら…」
 結局スパナ一本で不具合の修理ができた。「かちっ」って音がしたときは、張りつめた空気が
一気に和んだ。
 この3人の努力は無駄にはならなかったのだから…。
 でも、もうウチの機械は買ってくれないだろうな…。その方がいいかもしれない。

 この一件が終わってから、最後の1件を探し出して、帰路についた。
携帯のバッテリーは最後の1件を探すときに使い果たしてしまっていた。
公衆電話から会社に報告を入れた。
 「だいぶかかったな、気をつけて帰ってこいよ」
 (これだけかかったのは誰のせいだと思っている。この馬鹿野郎が!)
でも、「はい」とだけ返事をしておいた。
 会社に着いたのは19時を回った頃だった。
最後にその機械をおろして、終わりである。

 相当疲れていたのにも関わらず、春の「基本情報処理技術者試験」の勉強が無性に
やりたくなった。明日が休みだからと言う理由だけではなさそうだ(笑)


1月18日(木) 「自分で探せ!」「自分で何とかしろ!」

 隣県ににある複数の箇所で配達をし、そのうちの一件は不良品を引き取って、
その代わりに良品を納めてくる。それが今日、出社したときに与えられた指示だった。
 文字にするとたったの2行だが、状況によって実行が非常に困難な事がある。
 ここ数日は特に雪がひどい。まず、トラックの荷台に積もっている雪をおろさなければならない。
次にそのトラックを会社の敷地内から出さなければならない。スタッドレスタイヤがヘボいので、全行程の中で最もスタックしやすい所になる場合が多い。それで、作業能率がどうのというからお笑いだ(爆)
 なんとか、荷物も積み込み終わって、出発となれば、視界がまともに効かないし、
高速道路も閉鎖ときたもんだ(苦笑)
 本来なら一番目の目的地に着いているはずの時間に、ようやく目的地により近い高速道路のICに
たどり着くことができた。
 高速道路そのものにはこれと言って問題はなかった、県境を越えて、ICを降りて、
第一の目的地に荷物をおろす。この辺までは問題はなかった。
これだけで、もう既に15時。しかし、この先問題なければ、全部の仕事を終えて21時頃には
帰ることができるのではないか。…問題が起きないわけはなかった。
 これは天気のせいではない。指示が不徹底だったせいだ。
不具合機の関係の相手が15時頃から別のICで待っている。ということ。
不具合機はその会社にあると言われていたが、実際はその会社から2時間離れた山奥に
あるということ。
そのお客さんに事情を説明しなければならないこと。
 16時頃になって初めて聞かされたことだ。出発時には聞いていない。
もちろんこんなこと知っていたら、配達順を変えていた。特に何もなければ、他のモノを全ておろしたあとで、不具合機を載せようと考えることは自然なことだ。
 時間的にもはや、お客さんの所には行けない。もうこうなると、ここで一泊するしかない。
しかし、そのための準備もお金もない。事情を知らなければ、こんなに時間がかかることは
分からない。また、指示を出す方は想像力の欠如と言うのだろう。
「文字にすればたったの2行」の仕事にそんなに手間がかかるとは想像できなかった。

 不具合機を乗せ換えると言うことになっていたところに行ったら、案の定先方はカンカンだった。
しかし、私から事情を聞くにつれ、その怒りは私ではなく、そんな無茶な指示を出していた
会社側にむけられることになった。
 ここ以外の配達場所に関することは、ここには言う必要はない。しかし、こうなってしまえば
話は別だ。どこに配達するように言われ、実際にどこに配達したか、なぜここを後回しにしたのか
などを正直に話した。
 私の話は理屈の上では間違っていない。どこかでさぼっていたわけではない。
だから、相手は納得した。
 が、私にとって最も大きい問題があった。「宿泊先はどうするのか?」
 私がその懸念を口にする前に言われた「あんた、泊まるところは決めてあるの?」
「いえ、まだ決めていません。この県のどこに泊まることができるところがあるのか
全く分からないんですよ。会社の方に電話してみますね」
 電話を借りて会社に電話することにする。状況説明をして、朝指示されたことと、
実際には大きなずれがあることを指摘したが、相手にはそれが全く理解できないようで、
逆に怒っていた(逆上とか、逆ギレってヤツだろうか?)さらに、
宿のこと、泊まるだけのお金がないことを話したら、「宿は自分で探せ。お金の方はツケにしてもらえばそれでいいじゃないか。自分で何とかしろ。こっちは忙しいんだ。」がちゃん!
 …そういって切れた。

 「こうなったことをみんな私のせいだと思っています。指示がおかしいと言うことが
認識すらできないようです。宿は自分で探せと言われました。お金の方は宿の人に頼んで
ツケにしてもらえばいい」と言われました。
 この店(とある会社の営業所)の人たちは、若い人たちから、営業所長クラスの人まで一様に
あきれ果てていた。「なんて会社だ…。」「気の毒だな…。」
 
 「よし、今からでも空いている宿を探せ!」
そう指示をするやいなや、すぐに電話をかけまくって、宿に問い合わせた。
しかし、どこも満室だった。
 「もうこんな時間だとダメですね…。こうなったら、自分の乗ってきたトラックの中で
寝るしかないですね…。」
 「それは絶対にやめておけ。今日は冷える。氷点下10℃はいくぞ。冗談抜きで凍死する。
何とかしてやる」
 とうとう一カ所だけ見つけることができた。意外とここから近くだそうだ。
「ウチの軽(軽自動車)を貸してやる。それで宿まで行けばいい。トラックはウチの車庫の
中に入れておけばいい。」
 2tロングでは駐車場の状況によってはかなりきつい。
 そして、上の人と思われる人が奥に行って、お金を持ってきてくれた。
それは1万円札だった。
 「これで泊まれるな?」
 「ありがとうございます。何から何まで…。本当はウチの会社がやるべき事まで…。
お金は帰ったらすぐに現金書留でお返しします」

 宿は安い割には非常に快適だった。
 宿の中にはゲーセンとかあったが、そんなのには目はくれない。
これは自分のお金ではないのだから…。

 


1月12日(金) 試験、合格

 先月受けた、「情報処理活用能力検定」(J検)の結果発表がここに発表されていた。
結果は2級合格だった。1月の下旬に合格証が届くとのことだった。
 この試験のための勉強は実はあまりしていない。情報処理技術者2種の範囲から
はずれているところだけをやっただけだった。それでも合格できると言うことは、
なんだかんだ言って、2種(基本情報処理技術者試験)合格のための知識は着実についている
と言うことなのだろう。


1月11日(木) ただ、ひたすら走るだけの1日

 宿で目が覚めた。結局状況の報告だけして、そのまま帰ることになった。
帰りは空荷なだけに、速いことは速い。ただ、相変わらず振動がひどかった(^^;
こうして帰ったら18時を過ぎていた(^^;
 往復で700km、2日で18時間以上車を走らせたのは、もちろんこれが初めてだった。
 

1月10日(水) いきなり1泊県外出張(^^;

 いま、すごく忙しい。でもって、どうしても誰かが行かなければならない。
そういう事態が起きてしまった。そして、「残り物」は私。
 ってなわけで、昨日「明日○○県に出張にいってきてね。泊まる準備してきてね」
って言われてしまった。
 で、泊まり用の道具と積み荷をトラックに積んで出発。出発は9:30頃だった。
でもって、目的地に着いたのは18:00頃だった(爆)
しかも、雪で道路が白くなっていた。
 車の運転そのものは疲れたが、その日の仕事は予想外に楽だったのが救いだった。
宿の方は先方で確保してくれた。「ウチ、宿泊手当が…。だからできるだけ安い宿をお願いします」
ってお願いしたからか、そういう事情をすでに分かってくれていたのか、
安い割にはかなり快適な宿を手配してくれた。
 この時期、あまり人が泊まらないせいか、この宿もほとんど人がいなかった。
結構いい風呂を一人で入れたのが気持ちよかった。

 今回の出張は、これからの長期出張の予行演習ということで、しっかりと情報処理の勉強道具を
持っていったのだった。しかも、しっかりと勉強してきたりした(笑)


1月7日() 旅立ちの準備

 もうじき行かなければならない長期出張のために、
必要なモノを買い込んだ。特に新しい防寒具は必須で、できるだけ良い物を探した。


1月6日() ネット仲間に電話を。

 もうじき長期出張に行かなければならない。
これから行く地域にも、私のネット仲間がいる。なんらかの形で現地でお世話になるのは
間違いないので、そのまえに電話で話しておきたかった。
 その人の家にはISDN回線が引いてあって、自分専用の電話番号を持っていた。
そっちの方か、携帯にかけて欲しいとのことだった。
 で、その専用番号にかけてみた。留守だった。留守電メッセージが流れてきた。
『電話だにょ〜、って今誰もいないにょ〜。と、えと、ぴ〜っていう音の後に
メッセージを入れて欲しいにょっ』<詳細は本人から聞きました(爆)
…。まさか…。
 私は、メッセージの最後に「留守電メッセージおもしろかったです(笑)」と入れておいた。(ぉぃ

 そのあと夜になってかけ直して、その友人と話すことができた。
だいたい予想通りの声だった。
 直接話すのは初めてだったのに、すぐにうち解けて長話してしまった。大丈夫なのか電話代(汗)
どうしても、現地の様子とか、注意事項とかを聞いておきたかったのもあるが、
純粋に会話も楽しみたかった。
 私の日記は毎日見に行っており、更新を楽しみにしているそうだ。
ってことは、この日の分も見られるわけで…。まぁいいか(ぉぃ


1月5日(金) 仕事初め でも、いつも通り…。

 一部の人は4日から出勤だったが、当番の関係で、私はこの日が仕事始めになった。
 外は結構雪が積もっていて、4日に出た人が除雪してくれたおかげでまだ楽だったが、
会社のトラックで外に出ようとしたら普通の道路なのにスタックした(苦笑)
出勤の際の自分の車で同じ所を通ったが、別にスリップも何もしなかったのに…。
やっぱり、トラックのスタッドレスタイヤが悪いのだろう。
 いずれにせよ、しょっぱなからこんなだったら話しにならないので、すぐにタイヤチェーンを巻いて
出かけることにした。
 実はタイヤチェーンの装着も、装着した車で走るのも初めてだったりする。
 私が車の免許を取った頃から去年まで、新潟はかなり暖冬で、とくにチェーンを使う必要がなかった。
 でも、もたもたしていると「なんだチェーンも巻けないのか」って言われることは間違いないので、
新しく来た人と一緒にチェーンを巻いた。
 「「お前チェーンもまけねぇのか」って言われそうだな、うるさいのがそばにいると」
って、その人は言った。さすが社会人の経験が長いと、ちょっといただけでも社風というか
人間の行動パターンの予測が的確で早い。
 私もこの能力が学生時代にあったならと、今更ながらに思う。

 他の会社の人の軽自動車に先導されて、そのトラックで峠を越えることになった。
単なるスタッドレスタイヤだけの軽はすいすい走ることができるのに、自分のトラックは、
走り屋でもないのに(笑)ドリフト&カウンターステア当てまくり(爆)
なんでまたこんなに滑りまくるのだろうか(汗)

 トラックでの仕事を終えて帰ってきたときには昼休みが過ぎてしまい、昼食を食べ損ねた。
そこで、ごはんだけでも…。と思って、担当の人に聞いたら、
 「ごはんはあるけれど………に見つかるとまずいし…。向こうの定食屋で食ってこいさ。
ウチらのツケにしてくれればいいから」
 私は本来昼休みのはずの時間に昼食を食べずに仕事して、その結果昼食を食べ損ねた。
だから、その分は遅れて昼食を食べてもいいし、休憩もしてもいい。
まともに考えるとそうなる。だが、まともに考えられない人間に見つかるとやっかいだ。
そうみんなが考えたから、「定食屋で…」と言うことになった。
 定食屋で食べさせることで、よけいに経費がかかるという事態を引き起こすというのはお笑いだが、
元はと言えば、まともに考えられない人間からのとばっちり回避の為にしたことである。
もうこうなると本当にあきれるしかない(溜息)
 例によって新年早々から、自分の仕事に割り込んで、横やり仕事させられたり、
優先度の高い仕事をしようとしたら、その横やり仕事をさせた人間が怒り出して、
私に説教し始めるわでさんざんだった。
 そのくだらない「私情」のおかげで、その優先度の高い仕事を始める時間がどんどん減っていった…。
 もともと小さな体をさらに小さくしてひたすら、その説教を聞いていた。
反省した…ふりをして(笑)
(どうだ?これで気が済んだか?こんなことでしか鬱憤晴らしができないのか?
気の毒な野郎だ(嘲笑))<心の声

 って、仕事始めからこんな日記になってしまった(汗)


1月3日() 初詣

 私はだいたい1月3日頃に初詣に行く。そうでないと、混みすぎて嫌だからだ。
私は人込みがものすごく嫌いだ。多分、小さい頃に迷子になったからだろう。
 今年も白山神社に行った。
 それはともあれ、3日ならだいぶ人が減るので、かなり楽だ。
 去年ここで買った縁結びのお守りを、浄火場(?)で焼却し、4度目のお守りを購入する。
よく書くのだが、「縁結び」とはなにも男女間のそれだけではない。
人同士の繋がり全てが「」なんだ。本当にそう思う。
そう思って、お守りを更新し続けた結果、知り合いがたくさんできた。
主にネット仲間が多いのだけれど…。
 あと、「学業成就お守りセット」を買った。
今年の目標のためには、どうしても受かっておきたい試験がある。
 これには絵馬、キーホルダー型お守り、(神棚に上げる)お札、鉛筆2本が入っていた。
絵馬はすぐに書き込んで、絵馬掛け場に掛けた。
 鉛筆は4月のための勉強に使おう。試験が終わる頃には削りまくって、
持つのが大変になるくらい、短くしてやろう。
 そこまで勉強すれば必ず合格するはずだ。


1月1日() 新世紀

 何事もなく2001年を迎えた。結構ラジオとか聞いてみると、
「まさか自分が21世紀を生きることになるなんて小さい頃は思わなかった。」
というコメントが妙に多い。
 これは、「ノストラダムスの大予言」とか、「21世紀はこうなる」みたいな想像で、
20世紀とは遙かに違った世の中になることを子供の頃に何度もいわれ、
「いまとは全然違うんだ」なんて思ってしまったのだろう。
 実際は、大予言の方は大はずれ、かつての想像はかなり現実的になり、
モノによってはそのときの想像を超えてしまったモノさえもあるかもしれない。
 「世界中の情報を瞬時に手に入れられる」と言うのは想像上にあったかもしれないが、
「一般人が世界に情報を発信できる」とは、想像していなかったであろう。
しかし、それができるということは、この日記にアクセスできる人なら周知の通り。

 「よしゆきのバイクのページ30000アクセスを越えました。
30000アクセス踏んだのは1月1日の夜中だそうです。
 このページに来てくださった皆さん、本当にありがとうございました。
3年目を待たずして30000行くとは思っていませんでした。
これは大学時代の3倍くらいの速さです。やっぱり、この日記の力なのでしょうか?(笑)