日記(1999年3月分)

前のページに戻る

1999年

 3月31日(水) 最後は自分の手で…。

 大学のページに今のページの前身のページがあるのだが、4月になる前に削除した。作るのは大変だが消すのは実にあっけないものである。
 放っておけば、自分で消すまでもなく大学のシステム管理者が消しただろう。でも、どうしてもこの作業は自分でしたかった。


 あのページは最初は大学内のインターネット系のサークルの人から少しだけ教えてもらって、内輪で公開していたものだが、何となくYahoo!に登録してしまったものだから、そのページが学外にも知られるようになってしまった。
 さらに私に質問・励ましのメールをくれる人も現れ、「教習記」を読んで二輪教習に行った人が何人も現れた。メールを読む限り少なくともそういう人は十数人はいるようだ。私の「教習記」を読んで教習に行って、さらに自分でも教習日記を書く人も現れた。オフ会までやった。このページは私にいくつものすばらしい出会いをくれた。
 決してアクセス数の多いページではなかった(平均10〜20アクセス/日くらいの閑古鳥ページであった)が、誰かしら必ず私のページを必要としてくれた。
 これがなかったら、Asahi Internetと契約してこのページを続けることもなかった。自作DOS/Vパソコン「絆」も作らなかっただろう。

 これからもこのページは続けていくつもりです。今後ともよろしくお願いします。
 プロバイダーにお金が払えなくなれば別ですが(ぉぃ


 なお、前のページは1997年4月8日からカウントを始めて12527件のアクセスがありました。(約17アクセス/日)
 こうしてみるとやっぱり少ないんだなぁ…。
 


 3月30日(火) タイヤ交換

 通勤を始める前にタイヤをスタッドレスからノーマルに替えることにした。この時期なら雪が降ったとしてもつもるようなことはまずないだろう。
 車庫から出して作業すると時間がかからないくて楽だが、道路を塞いでしまうので車庫に入れたままやった。車を入れたときの車庫は空きスペースが横に1mもないが、体格の悪さも手伝ってかすぐに交換することができた。
 試運転してみると、やたらとハンドルが重いのでガソリンスタンドから空気入れ(空気圧を指定するヤツ)を借りて空気を入れた。その後で走らせてみたらハンドルは軽くなった。


 Asahiインターネットにメールアドレス追加(ポスペ用)を頼んでいたのだが、チェックしてみたらちゃんと使えるようになっていた。比較的短時間でこういう変更ができるのがローカルの強みだろう。大手だと手続きが面倒だったり、時間がかかるもんなぁ。
 ポスペ用のアドレスはyoshi-pp@ash.ne.jpです。


 3月29日(月) Biglobeから会員証が届く

 現在のプロバはサービス自体は悪くないのだが、実際にアクセスすると急激に重くなるという問題がある。
また、会社に入ってからは出張が多いという。それなら全国的にAPが多いプロバがあった方がよい。
 私はクレジットカードを持っておらず、口座振替でBiglobeに申し込んだので会員証が届くのに時間がかかった。使用可能になるのは3月31日からだという。
 これを機に私のメールアドレスの用途をきちんと決めることにした。これはページに載せたり伝言板への書き込みに使ったり…。これはプライベート用。これはポスペ用といった感じで。
 実はポスペは2週間前に始めており、つばめさんに頂いたPostPet2001を入れている。(ちなみにPostPet2001の製品版は2枚組で、そのうちの1枚は「お友達にあげてください」ということである。もちろんユーザ登録もしてある)


 3月28日(日) こんなに遅くまでチャットできるのもあとわずか。

 4月1日に入社式がある。それまでに生活を朝型に戻さないとかなりつらいことになる。4月からは6時に起きなければならない。(6時に寝たことはあったが(笑))そして会社から帰ると、ヘタすると9時過ぎになる。初めの頃は慣れていないだろうから多分くたくたになってさっさと寝てしまうだろう。
 チャットの参加者曰く、「うまい手の抜き方覚えれば大丈夫だよ」とのことだが…。
 それに入社早々居眠りなんてのも非常にまずい。あのチャットには社会人の人が結構いるが、遅刻とか居眠りとかは大丈夫なのだろうか?という疑問を持ったことがある。
 彼ら曰く、「遅刻も居眠りもしたことがあるが、やるべき仕事はちゃんとやっている」とのことだった。
 しかし私のような社会人1年生(にこれからなるんだけれど)はその仕事を覚えるところから始めなければならない。
だから遅刻や居眠りは問題外だ。しばらくは少しだけ顔をだすくらいしかできないな…。

 3月27日(土) ICQ99aを入れてみたが…。

 ICQの最新版ICQ99a(と日本語化パッチ)を入手したので、早速インストールした。そして以前のバージョンのログもコンバート。
 全体的に使いやすくなっているようだが、問題があった。それはメッセージログが文字化けして、現状では解決方法がないらしい。コマンドの表示が英語のままでいいから、このログだけはどうにかして欲しかった。
 というわけで、結局ICQ99aの導入は見送り。今までのICQを使い続けることにした。
 しかし。ここで問題発生。今までと違って、ダイヤルアップで繋いでいない状態でネスケやICQなどのネットワークを必要とするアプリを起動すると、勝手にモデムが作動して電話をかけてしまうようになってしまった。
 本当にインターネットをはじめたばかりの初心者だったら便利かもしれないが、これは困る。
 結局、IEから「インターネットオプション」を選択し、接続方法で「LANを利用してインターネットに接続」を選んでこの問題を解決した。コンピュータ側はLANでつながっていると認識するから勝手に電話されることもない。
 必要なときだけ、接続先を選択して接続する。(私はこれにChange Dialというフリーウェアを使っている)


 3月25日のプロバの改修で回線の混雑は緩和された…。と思ったら、速いときはかなり速いし遅いときは今までと同じというふうになってしまった。まぁこの手のトラブルはシステム改修などで変更を加えた時にはよくあることだ。しばらく様子を見ることにする。

 3月26日(金) いきなりはち合わせ(汗)

 入社日まであとわずか、つまりこんなにのんびりできる日もあとわずかだ。
 今日はその入社日までもう一度通勤時間に車で会社まで行って所要時間、混雑するポイントを調べた。
 会社の駐車場に入れて、一息つく。ついでだから少しここにいて様子を見る、「社用車はやはりマニュアル車だな」とか、「駐車場の容量を考えるとあまり自動車通勤する人が多くないのかもしれない。そういえば、採用試験のときも結構空いていたし」とか考えていて、さて帰るか…。と思った矢先に一台の車が入ってきて、その運転手が私を見つけた。
 もしや…。人事担当の方じゃないかぁ〜(汗)(実際は総務部の部長なんですが)
 私の顔をしっかい覚えていてくださったみたいで、「一体どうしたね?」って聞かれてしまった。
「入社式に遅刻しないように、同じ時間に来てみました」と答えたが…。

 しかしよくこの不況の時代、似たようなのがたくさん入社試験を受けに来たはずなのに、よく覚えていられたなぁ…。
あ、そうか。その他大勢になってしまう「似たようなの」でないから採用されたのかもしれない。
 「似たようなの」だったら、全体に埋もれるために無難ではある。少なくとも高校の時のような目にあうことはまずないだろう。だから、よけいなトラブルを呼び込まないためにはまわりと同じように振る舞い、周りと同じように流行にのるか、のった振りをしていればそれでいい。こんな風に背景と文字を同色にするのと同じことである。このように文字が埋もれればたとえ変なことが書いてあってもたいていの人は見過ごしてしまうだろう。
 私はいいことか悪いことかは知らないが「その他大勢」にはならなかった。



 久しぶりに土田商会(行きつけのバイク屋)にバイクで寄った。CBRの自賠責・任意保険が来月切れるので次回どのような保険をかけるのかを相談した。私はずっと無事故なので初めは10万だった任意保険も今では同じ保険内容であるのにも関わらず、次回は2万とちょっとでいいらしい。対人無制限、対物1000万とかかけても4万を切る。このまま26歳になったらどうなるのだろうか?それと自賠責がいつまでも変わらないのはなぜだろうか?
 この前オイルを交換したので、次回交換分のオイルを2l買っておいた、SJ級のオイルで3000円だった。

 家に帰ってからCBRの整備ノートをチェックする。次回オイルフィルター交換。本当はバッテリーも寿命なのだが、3度も冬を乗り越えた割には全く問題ない。MFバッテリーは終わるときには一気に終わるらしいのでそれだけは注意しなければならない。それにしてもMFバッテリー高いよなぁ…。


 3月25日(木) 結ぶもの

 3月26日になるまでにテレホーダイの電話番号を変えないと4月から使えなくなる大学のダイヤルアップ接続用電話番号が残ってしまい、これから使おうとするプロバの電話番号がテレホの対象にならなくなってしまう。
 そこで大学のダイヤルアップ用の電話番号を116に通知して削除した。MS-DOSから繋いでいた時から大学のサーバにはお世話になった。1年とちょっとだったが、これのおかげで様々な人とコミュニケーションをとることができた。
 この回線はコンピュータ同士を結ぶ通信回線であると同時に、間違えなく、人同士を結ぶ「絆」であった。


 3月24日(水) つながらない…。遅すぎる……(怒)

 今日の夜中、例によって(笑)このプロバの回線を使ってWebチャットをしていたが、今日は(も?)猛烈に重い
単に遅いのはしょうがないが、つながらなくてタイムアウトとか、ICQが1時間以上つながらないとかどうしようもない状況が続く。さらに普段巡回しているえみりさんのページやつばめさんのページ(両方ともBiglobe)、DTIにつながらないのに、なぜか「推進委員会」(DIN,ドルフィンインターネット)にはなんとかつながる。
 このような状況は我慢できないので、大学経由でつなぎなおす羽目になった。大学経由でつないだとたんにICQは1分ほどでOnlineになった(^^; むろんチャットも快適になったのは言うまでもない。
 いまのプロバは大手みたいにアクセスが集中するわけでもないはずなのにどうしてこんなに不安定なのだろう。
明日、プロバ側で改修工事をするとのことだが、これで改善されなければ救いようがないぞ。
 頼むよ…。大学経由が4月に使えなくなると、ここだけが頼りなんだから…。
 

 3月23日(火) USBデバイスを初めて使って…。


 最近フリーウェアのとある格闘ゲームにはまっている。今まではジョイパッド無しでやっていたのだが、キックボタンとパンチボタンが操作しにくいので、キックボタンだけ使っていた。
 せっかくWin98が入っていて「絆」の後ろにUSBポートがあるのだからこれを使わないテはない。というわけで、新潟市のソフマップ(こういう店は1時間ほどかけて行かないとないのがつらいところ…)にジョイパッドを買いに行った。店内を見てみると、レースゲーム用コントローラー、フライトシミュレーションゲーム用コントローラーなど様々なものがあり、作りも非常に本格的だった。
 …もっとも私はそれほど高級な物を必要としなかったので、通常の十字キーがついている物を買った。
 外を見ると卒業式帰りと思われる女子がいた…。(これ以上書くと、別な話になってしまう(笑)今回はUSBの話だ)
 帰りは彼女たちをできるだけ見ないようにして車を運転して家に帰った(笑)<こんなことで事故ったらたまらない(爆)
 家に帰って、マシン後部のUSBポートにジョイパッドのコネクタを入れようとしたが、なかなかきつい。考えてみれば当たり前のことで、以前のオーナーはWin95を使っており、このマザーボードでWin98を運用したのは私が初めてなのだから。(注:USBポートはWin95では使えません)
 コネクタを入れたら自動的に設定が始まり、簡単な操作でそのジョイパッドが使えるようになった。将来コネクタがこれで一本化されれば、特に初心者は助かるだろう。また、ポートが足りないときでも、ゲームをするときはジョイパッド、スキャナーを使うときはジョイパッドを外してスキャナのコネクタをそこに入れるといった便利な使い方ができそうだ。
 で、肝心の格ゲーだが、あまりにもキーボードでの操作に慣れていたので、ジョイパッドでやったらすぐにやられてしまった(;_;) これは私が悪いのか?


 3月22日(月) 窓を開けるとそこは雪景色だった。


 「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があるが、昨日春分の日だったのに今日起きてみたら道が雪で白くなっていた。
(このことはチャット中に新潟県の隣県に住んでいる人が「タイヤ変えたから車が使えない」って言っていたので、多分朝起きたら…。と思っていたが。)
 ある程度は予測がついていたとはいえ、せっかくバイクを整備したのに乗れないのはなかなかつらい。

 


 3月20日(土) 4年経ってもなお…。


 今日は19時から高校3年のクラスの同級会があった。参加者は25人くらいで先生もいらっしゃるらしい。
電車の関係で一番早く会場である駅前の飲み屋に着いた。次に来たのは同じ大学で友人でもある人だった。
その彼と話をして時間をつぶしていると、次々と懐かしい人たちが現れた。
 女子もいたが、幹事以外の人の名前と顔が一致しなかった。4年経って忘れたわけではない。一致したことなんてなかったのだ。高校時代の女子との関係は昨日書いたとおりだ。まともに話なんかしたことなんてなかった。あんな態度では、こっちも話す気がしなくなる。だから顔と名前を一致さえる必要性がなかった。
 私が大型二輪免許を取って自動二輪に乗っていること、ウェイトトレーニングをやって大会にも出たことを一部の人が知っていた。大型二輪免許の件は自動車学校に行っていた際に同じクラスの人に見られていた。ウェイトトレーニングの件は、同じ大学の人に大学に飾られていた、私の賞状を見られたからだ。
 しかし、男女ともに言葉の端々に見られる蔑視の態度は明らかで、非常に残念だった。4年経ってもなお変わらなかったのである。すでに社会人になった人もいるので、ちょっとは「オトナ」な人もいるだろうと思ったが、そうではなかったらしい。
 昨日の彼女の話や、インターネットがきっかけでちゃんとした人間関係を築いた話もしたが半信半疑だったのは言うまでもない。
 昨日の彼女や、インターネットで知り合った人々がもし同席していたら、どう思っただろうか?
 


 3月19日(金) 卒業式


 今日は私の大学の卒業式だった。
 昨日とうって変わって、今日は雨が降って寒かった。早めに会場に着いたせいかまだ卒業生らしき人がいなかった。
卒業生かどうかは、男の場合はなかなか分からないが、女性の場合は一目でわかる(笑)
 卒業式の会場でチェックしてみると、大体9割方が袴姿だった。スーツの人はごく少数だった。こういっては何だが、袴姿の似合う女子が意外に多くて、正直言って驚いた。数ヶ月前に見たときには、茶髪で色黒でピアスして…という人が見事に似合っていた。「女性ってかなり化けられ変われるんだな」と感心していた(笑)
 卒業式が終わった後で、お世話になった先生や、親しくしていた友人と話をしていた。そのとき…。
 私の背中を誰かがぽんっとたたいた。振り返ったら、袴姿の私の友人が立っていた。4年前、初めて会った時もそうだった。悪いことをしたわけでもないし、正視できないほど酷い外見をしているわけでもないのに女性に冷たく扱われていた私に向こうから声をかけてくれたのだ。それ以降、講義で分からないところを互いに教え合ったりとか、仲良くしていた。(もっとも私が教わった方が多かったけれど(苦笑))
 袴姿は清楚で思いやりがある人が着るとすごく似合うと思う。その彼女のその姿はとても似合っていた。


 18時から卒業生の祝賀会があった。袴姿の女子はみんなスーツに着替えていた。まぁ食事で着物を汚したら大変だから仕方がないだろう。しかし残念ではある(爆)
 祝賀会で少し酒が入ったときに、またその友人から声をかけられた。私はさっき思ったことを言った。
「さっきの袴姿、すごく似合っていたよ。これは個人的な考えだけれども、ああいった姿って思いやりのある、やさしい人が着るとすごく似合うと思うんだよ。4年間いろいろありがとう。」
 彼女はすごく喜んでいたようだった。袴姿ではなく、その姿をした自分自身のことを言われたのだから…。
 そして、私に一枚のカードをくれた。新しい住所や電話番号が書かれていた。私はそういったカードを持ち合わせていなかったので、彼女の手帳に私の連絡先や電子メールアドレスを書いた。
 さっき自分が言ったことを思い出して恥ずかしくなったので「酒が入っているから、さっきは変なことを言っちゃった。バカなこと言ったと思って忘れてくれ」って言ったが、実際はバカなこと言うほど酔っていなかった。
 別れ際に「袴姿は一生に一度だから…」といった。この言葉はなかなか強烈だった。
 袴を着ることは、彼女たちにとっては自由な学生時代の終焉を意味し、また新たなステップの始まりを意味するのだろう。形骸化していない儀式にはそういったステップを意識させるという意味があるということを本で読んだことがあった。

 その新たなステップの先に幸あらんことを…。


 3月18日(木) 久しぶりに早起きして…。


 長い春休みでだらけきっていた私であるが、珍しく6時半に起きた。(6時半に寝た日のほうが多かったりして(笑))
こんな時間に起きたのは4月から通勤する会社までの所要時間を実際の通勤時間帯で調べるためである。
(昼間走ってもすいていて参考にならないし)
 結局40分程度で会社に着くことができた。もっと混むことがあるので所要時間は50分〜1時間だと思っていいだろう。
 帰りにコンビニで「ラブひな」の単行本(講談社コミックス)を買った。以前推進委員会チャットで「袴が…」とかって話で話題に上っていて、少し気になったので月刊少年マガジンを買って読んだらはまったのであった。


 家に帰ってから、自動車修理工場に電話した。オイルが交換時期に来ていたこと、ブレーキをかけるとたまにブレーキの方から「ガリガリ」と音がする(注意しないと分からない程度の音なのだが)ことがあるからだ。
 30分ほどして修理工場の人が2人来てくれて、そのうちの若い人が修理工場に回送するために車庫に入っていた車を出して、そのまま工場まで…。のはずだったが、なんとすぐそばの小さい側溝に左前輪を脱輪させてしまった。(^^;
 
 私は油圧ジャッキと材木を持ってきて、それ以上のことはしないで見守っていた。彼らはプロなのだ。必要ないのに口を出すことは彼らのプライドを傷つける。私自身は道具をどう使うかは分かっていたのだが。実は10年以上前に近所で同じような状況の車を見つけて1人で助けたことがあった。
 十数分後には車はさっき脱輪させた人の運転で工場に回送されていた。


 今日は天気が良く、暖かかったのでCBRを冬眠から目覚めさせることにした。1週間前にバイクのエンジンだけはかけていたので、1発でエンジンはかかった。このバッテリーはもう2年経つがまだまだ元気のようだ。
 オイルは真っ黒で臭いも新品と比べて結構強烈だった。その後洗車もし、チェーンにオイルを吹き付けて試運転。
 初めは「なんか音が大きい」と思ったのだが、これは車に慣れていたからだろう。10分も乗っていたら違和感がなくなった。特に不都合はなかった。ちょっとした整備だけで性能を取り戻すとはCBRもなかなかのものだ。

 今度はNS50Fも冬眠から覚まそう。でも明日は大学の卒業式、あさっては高校の同級会、と急に忙しくなってきたのでもうしばらくさきになりそう。
 ほんの数日前まではヒマだったのに忙しくなりはじめるとやるべきことが集中するのはなぜだろうか?