日記(1999年12月分)

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1999年

12月31日(金) 大晦日

 今日は朝からQueen of Heart '99にはまる。全キャラクリア(ただしEASYモードだけど(爆))を目指して遊びまくった。しかし、本当によくできたゲームである。キャラの仕草は原作の感じが生きているし、「あれ?そういえばこんな動き、どっかの格闘ゲームであったなぁ」なんて思い出して楽しむことが出来た。
 結構ストIIの6ボタンに混乱したクチなので、3ボタンで、操作できることは非常にありがたい。


 いよいよ1999年は残すことあと1日なので、自分で作成したり、ネットで集めたデータ(CGやhtmlファイルなど)をバックアップすることにした。
 WinRARでFD一枚分で分割圧縮したところ、80枚も必要になってしまった。それをひたすらFDを取り替えながらバックアップし続けた。このFDによるバックアップ作業は、本を読むほどの暇もなくすぐにFD交換になるし、かといって数秒で済むものでもないので結構退屈で面倒だった。
 年末恒例の歌番組を見ながらの作業のときはさほど退屈ではなかったが…。
滅多に歌番組なんて見ないので、歌詞なんかが見ることができてなかなか楽しかった。歌で聞く分にはなんてことないが、結構きわどいこと言っていることが多いんだなぁ…。


 あと数時間で2000年だが、大丈夫だろうか?例えページが消えてもすぐにFTPでアップロードできるが…。
個人で使っているようなパソコンなら、例えWinがクラッシュすることがあっても再インストールだけですむ。
BIOSが吹っ飛ぶとかでなければ問題はない。
 しかし、2000年になった瞬間に停電では困るので、この瞬間だけは電源を落としておいた方が良さそうだ。
それを過ぎてから、ネットに接続できればいいのだが。


 このページを開設してから10ヶ月になりますが、大学時代の3倍近いスピードでアクセスがありました。
まさか8ヶ月程度でアクセスが1万件行くとは思わなかったです。
 このページを応援していただいた方、本当にありがとうございました。
そして2000年もよろしくお願いします。

12月30日(木) 忙しいけれど楽しい年末

 朝起きたらすぐに自分の部屋の大掃除をした。かなり雑誌などがたまっていたので、徹底的に捨てまくった。
しばらく読まないものは、今後必要になる可能性が低い。だからすぐに捨てることにした。
雑誌付属のCD-ROMは必要なモノはケースに入れて保管しておいた。あとあと必要になることがある。
 掃除が一段落して捨てる予定の雑誌を見てみるとかなりたくさんあった。よくこれだけ買ってきたものだと自分でもあきれていた(^^;その時に封筒が届いた。友人に頼んでおいたQoH'99だった。
 早速、大掃除を切り上げてQoHをインストール開始(爆)
…しかし。
 InstallShealdが何回やってもうまく動かない。「渡辺製作所」ページの伝言板などを見ても、そういったケースは皆無のようだった。それなら、こちらに原因があるのだろう。しかし、それ以外のソフトは正常にInstallShealdが動作する。
 それなら…とCDの中身を見てみたところ、qoh99というフォルダがあった。data1.cabなどのInstallShealdで展開するファイルがあったので、もしかしてこれとこのフォルダの中身は同じモノでは…。
 早速qoh99フォルダごとHDDにコピーした。320MBもあるので、しばらく時間がかかった。
コピーした実行qoh99.exeを実行したところ、無事に起動した。
 オープニングムービーがかなりの出来で驚いた。そして、肝心のゲーム本編も期待を裏切らないものだった。正月中これだけでもかなり楽しめそうだ。
 無事にエンディングまで行けたので特にこのインストール方法でも問題ないのだろう。しばらくこのまま楽しむことにする。


 1年間使ったマウスの調子がおかしくなっていたので買いにいった。せっかくだからいい物を買うことにした。
買ったのはMicrosoftIntelliMouse Optical Technologyというもの。これはマウスボールの代わりに光学式センサーが付いたもので、このセンサーで机などの表面を読みとり、動作を検出してカーソルを動かすと言うもの。ズボンの上でもいいらしい。だいたい7千円くらいだった。
 今までのマウスボール付きのインテリマウスを取り外してPS/2ポートに買ってきたマウスを接続して、電源投入。裏から結構強く赤い光が発光した。目に悪そうな光なのであまり見ないことにした。
 次にInteliPointをインストールした。ホイールを動作させるためのソフトである。(もっとも、以前のインテリマウスのドライバでもホイールは動作したがドライバの更新のつもりでインストールした)こっちは無事にInstallSheldが動作してくれた(^^;
 使い心地は非常に快適で、あまりに操作が軽くなったために初めはかなりの違和感があるくらいだった。
本当にズボンの上でもうまく動作してくれた。寝ころがって布団の上…という状況でも動作してくれた。
注意しなければならないのは、やはりセンサーの赤い光で、相当指向性の高い光線なのか、出力が大きいのか、ちょっと見ただけで疲れてしまう。寝落ちしそうになったら、マウスに何かかぶせるかしないと下手すると寝ている間中光線を浴び続けるはめになるかもしれない。

12月29日(水) 仕事納め

 今日はウチの会社の仕事納めである。午前中は通常通りの仕事で、午後から大掃除であった。
もっとも午後の数時間は事実上ボランティアのようなもの(タダ働きとも言う(汗))だった。
 それでも、さっさと大掃除を済ませることができた。来年もかなり忙しい年になりそうだ。
仕事がなくて暇なのよりもマシなのかも知れない。そう思うことにする…。


 早めに終わったので、例のソフトの代金を銀行で振り込んだり、郵便局でこの前出さなかった分の年賀状を出したりした。
 明日に備えて預金も下ろしてきた。

12月27日(月) 友人に頼んだソフト

 24〜26日にかけてコミケがあったが、もし行けたのなら買いたいソフトが2つある。
一つは「袴っ娘推進委員会」のCG集「ほわほわ」で、もう一つは「渡辺製作所」の同人ソフト「Queen of Heart '99(QoH'99)」である。
 両者とも、前作がかなり評価されているのか、今回のも前評判が高いようだ。
 で、ほわほわの方は正月明けにページ上で通販をするというので、そのときに買おうと思う。
一方後者は、そういうのがないらしいので、秋葉原などにある同人ソフト店で買うことになる。
しかし、この時期にそこまで行くわけにも行かないので、友人に頼んだ。代金は友人の口座に振り込むことになった。
 さて、明日あたりにでも振り込みに行くか…。定額小為替も買ってこなければ…。

12月26日() たいしたことしていないのに時だけが過ぎ去っていく…

 今まで書いていた年賀状をようやく郵便局に出しにいった。
一昔前は、「同一郵便番号」「県内」「県外」って感じで年賀状専用ポストが分かれていたけれど、今日行ってみたら「町内」「それ以外」の2つだけになっていた。それだけ郵便番号7桁化で仕分けの効率が上がったのだろう。それにこのことを個人レベルで考えると、筆まめのようなソフトで郵便番号だけでかなりの住所が自動出力できるようになったことはかなり便利である。
 そういえば昨日までだったかな?年賀状出すと元旦に届くのは…。


 Winの再インストールに備えて、各種ドライバを探しておくことにした。が、どうしてもグラフィックボードPWR128のドライバだけが見つからない。これがないと16色表示しかできない。
 そこで、Canopusのページでドライバを探したらそれらしいモノがあったのでダウンロードする事にした。
試しに入れてみたところ、ドライバが間違っていたらしく、もとのドライバが上書きされて破壊されてしまった。
壁紙まで16色になってしまったので、せっかくの綺麗な壁紙(CG集「ふくふく」の「睦月 渚」ちゃん)がひどい有様になってしまった(涙)
 念入りにドライバの入ったCDを探したところ、ようやく発見することができた。
 壊れたドライバを「アプリケーションの追加と削除」で削除して、再起動。
プラグアンドプレイでグラフィックボードが検出された旨が表示されるが、キャンセルしてそのグラフィックボードのSetup.exeを起動してインストール。再起動。これであっさり元に戻った。
渚ちゃんも元通りで一安心(爆)

 1年前は16色表示でも困らなかったのに、今となってはもうあのときに戻るのが難しいことを知った。
こうして1日は過ぎていった。そしてちょっと長い目で見ても、たいしたことしていないのに時だけは過ぎていったことを否応なく思い出してしまったのだった。


12月24日(金) クリスマスイブ

 …だからって特別何かあったわけではありませんが(自爆)
 今日はコミケ(コミックマーケット)の1日目だったが、仕事だったので行けなかったのだった。
この時期はよほどの理由が無ければ、休暇は取れないだろう。それでも、いろんな理由を付けて休暇を取って行く人は多いらしいが…(苦笑)
 仕事が終わってから、コミケに行ってきた東京在住の友人や、ネット仲間から状況を聞いてみた。
某サークルのCG集(といってもバレバレでしょうが(^^;)もすごくよかったらしい。私も早く欲しい。、まぁこれは通販が始まるのを待つしかないのだが…。


 昨日入れたNorton System Worksだが、様々な機能がありパソコン環境を快適にする上で効果はあったが、根本的な解決方法はWindowsを再インストールするしかないようだ。
 最近たいしたことしていないのにリソースを食い過ぎてどうしようもない。再インストール自体は簡単だが、元の環境に戻すのがかなり手間がかかる。私の場合、かなりフリーウェアに依存しているので(^^;そのアーカイブを探し出すのにかなり時間がかかる。雑誌のCD−ROMから持ってきたのもあるし、Vectorや窓の杜などでダウンロードしてきたものもある。これのデータベースを前もって作っておかなければならない。果たしてどれくらいのデータベースになることやら(汗)


12月23日() パソコン店でお買い物

 数日前にボーナスが出た。それで少しはパソコンに回せるのでいくつか買うことにした。
買ったのは、Norton System Worksと、IO-DATAのSCSIボードSC-UPCIだった。

 前者はウイルスチェックや、システムの不整合などを修復するために、後者は今まで使っていたSCSIボードが電源破壊の際の生き残りで(^^;、ISA接続で、BIOSチップが壊れているという、なかなか壮絶なモノだったからだ。それでも約1年持ってくれたのは幸いだと思う。それに将来的にSCSIのHDDやCD-Rなども接続したいと思っていた。

 家に帰ってから、まずはSCSIボードの取り付けからはじめた。
 今までのISA接続のSCSIボードと、以前動作しなかったモデムカードを抜いて(今までささったままでも特に問題なかった…)ボードに内蔵CD-ROMドライブのコネクタを差し込む。そこに新しいSCSIボードをさす。
 その際にグラフィックボードをしっかりさしておかないと、ディスプレイが反応しなくなってしまう…。注意しなければならない。
 電源投入。無事にSCSIボードはWindowsに認識された。しかし…その際にWin98のCD-ROMを要求されてしまう。が、CD-ROMにアクセスできない。SCSIボードのドライバはCD-ROMにあるが、そのSCSIボードはそのドライバがないから動かない。車の鍵のとじ込みのようなものだ。
 こう言うときは前もってWin98をIDEのHDDにコピーしておかなければならない。
 そこからドライバを読み込んで無事にSCSIボードが使えるようになり、CD-ROMドライブも使えるようになった。そのあと、添付のドライバFDを使い、ドライバをアップデートする。もしかすると、いきなりこのFDからドライバを読み込んでも無事に認識されたかも知れない。
 今度は音楽CDを入れてみる…、がアクセスできない。音楽CD再生のためのアプリケーションの関連づけが切れたらしい。その関連づけをして、この問題も解決。
 CD-DA再生のゲームでも試してみる…。問題なし。
 これで、SCSIボード関係は終わり。
 次は、Norton System Worksのインストール。
 なぜか、このCDを入れてもCD-ROMドライブが反応しないので、ドライブを軽く叩いてみたらなぜか動いた。接触の悪いテレビじゃないんだから(汗)このドライブもそろそろやばいのか?騒音も大きいし…。
 一旦動き始めたら何の問題なくインストールが完了した。ウイルススキャンにも引っかからなかったし、レジストリの最適化を行ったら不安定な部分もだいぶ無くなった。
 まだ色々な機能があるが、これらはまた明日にでも試してみることにする。
 


12月21日(火) 除雪

 会社に来てみたら雪で駐車場が埋まっていた。だから、最初の仕事はスコップで雪かきだった。
これが結構きつい。普段使わないような筋肉を酷使するのか、かなり疲れる。
 しかし、後で会社で一番大きい除雪機で作業させてもらえたので楽だった。
(しかし、操作に慣れるのには結構時間がかかった(^^;)
 2時間以上除雪機使い続けて、なんとか駐車場は除雪完了した。これで、ここに普段停めている人たちは車を停めることができるようになった。

12月20日(月) 雷

 朝起きたとたんに上司から電話がかかってきた。
なんでも、雷のせいでやっかいなことになったらしい。
 そのせいで出勤時間が9時になった。その「やっかいなこと」のせいで、応援どころではなかった。
雪が激しく降って寒かった(しかも風邪ひいていた)だけに助かった。
 雷は昼も夕方も激しく鳴り響き続けた。もしかして、落ちるのでは?とかなり焦った(^^;

 さてさて、明日はどうなるコトやら…。
 しかし雪が積もるとかなり走りにくくなるものだなぁ…。家まで帰るのに2時間もかかってしまった…。(普段は40分ほどで帰れる)

 年賀状の方は、朝コンビニで年賀状を買ってきて、帰ってから昨日できなかった分を一気に仕上げた。やっぱりパソコンって便利なんだなぁと思うひとときだった。
 これ一台で、いろいろできるんだから…。システムの拡張と運用方法の工夫さえできればだが…。


12月19日() 年賀状書き

 まとまった時間ができたので、「筆まめ」を使って年賀状書きをすることにした。
まずは、両親から頼まれた分から。
 両親のは、父親がだいぶ昔に筆で書いたものをスキャンしてそれを年賀はがきに印刷する。
すでに、Adobe Photo Deluxeで加工・作成してあったので、それをそのまま印刷する。
なかなかいい感じ。筆書きしたものの「かすれ」までちゃんと出ている。これを個人レベルでの印刷だと思う人はあまりいないだろう。これもパソコンの技術の進歩の賜物か。
 筆まめでやらなかったのは、画像ファイルの変換方法がよく分からなかったため。JPEGなどに変換すれば何とかなるはずだけれど、方法が見つからなかった。よく探せば見つかるだろうが、要はちゃんと印刷できればいい。(でも、今度はちゃんと探しておこう)
 私の分は、筆まめ添付の画像を適当に選んで文章を若干変えただけだが、画像によってはどうやってもまともに印刷できないことがあった。その部分はコピーアンドペーストで他と入れ替えたりして解決。今度は、その部分だけはプレビューで見ることができても印刷の時に消滅するという現象が発生。
 一体龍はどこへ消えたの〜(汗)
 しょうがないので、透過処理などをやめてサイズを小さくすることで解決。
最後には、このプリンタのフォトインクで印刷して終わり。
 しかし、何度も失敗して年賀状が不足してしまったのは残念だ。これは明日買いに行くことにする。
 


12月17日(金) 占いの本

 ネットの方で、「動物占い」というのが話題になった。私は「ひつじ」らしい。
しかし、あまり気質的には当たっていないようだ。むしろ気質的には「おおかみ」の方が近いと思う。
「群れをなさない狼のように人とは違う生き方を常に心がけているあなた。一人の時間や空間を大事にするので変わり者だと思われがちだけれど、マイペースで何をするにも自己流が…(中略)変わり者だと思われがちだけど、変わってるといわれるのが嬉しかったりもします。」
 私はひつじのように従順ではないし(従順なふりはするが(笑))変に意味のない型にはめられるのは大嫌いである。
 だから、自動車学校劣等生だったんだろうなぁ…。四輪の時は、従順なふりするほど余裕が無かったから大変だったし、二輪の時は従順なふりをしていただけだったりするから(笑)
 会社でも、個人の作業効率の追求よりも、構造的な問題を解決するのが先だろう!って思ってしまう。口に出すと面倒だから言わないだけだけれど(笑)
 ネットの方で、たいした意味を持たない柵なんて軽く飛び越えて自由になる。現状ではこれしかできないのが悲しいが当分は仕方あるまい…。

 帰りに何種類もある「動物占い」の本の一冊を買ってきた。まさか自分が占いの本を買うようになろうとは…(苦笑)
 ネットで言っていたのとは若干解釈が違う。占いってそんなモノなのだろうか…。
でも、楽しめればそれはそれでいいかな?


12月14日(火) 投資(?)の効果

 昨日の積雪で慌ててスタッドレスタイヤに換えた人が多いのだろう。通勤時は昨日ほど混雑しなかった。
が、車を降りてみると、水たまりの多いこと…。しかも一部凍結しているし(汗)
 早速、昨日の長靴(安全靴仕様)を履いてみる。当然だがまったく漏れてこない。ただやっぱり寒い。これは我慢するしかなかろう。
 足が濡れないのは非常に快適である。しかも、補強部分に5kg近いシャフトを落としてしまったが、この程度ならびくともしなかった。これがただの長靴だったらと思うと恐ろしい(^^;
 やっぱり、金はだすべき時に出さないとダメだってコトなのだろう。改めてよく分かった。
そういえば、現在のパソコンも金を出すべき時に出したから(今では古いとはいえ)快適なパソコン環境が得られたのだった。もう1年になる。時の経つのは速いものだ。
 しかし、全身が寒いことには変わりなく、かといってこれ以上防寒具を着込むと動きづらいのでもうどうしようもないようだ。困った…。


 心も体も冷え切った私は帰宅後に、以前貰った紅茶で暖まったのだった。ただ、フトコロだけはどうしても暖まらない(爆)


12月13日(月) 積雪

 朝起きたら雪がうっすらと積もっていた。これは早く家をでないと遅刻すると思い、すこし早めに家をでた。
それでも、結局いつもと同じ時間に着いてしまった。
 会社の方が雪が積もっていた。少し溶けてシャーベット状になっていた上に水はけが悪いのですぐに足にしみこんできて気持ち悪いわ、寒いわでかなりきつかった。
 長靴型の安全靴が欲しい。そう思った。早速そういった靴かあるかどうかをウチの部署の人にきいたところ、売っている店まで教えてくれた。
 仕事の帰りにその店に寄ってみたところ、靴はあったが手持ちのお金がなかった。
このまま買わないと明日また寒い思いをする。そういえばクレジットカードがあった。これは、ガソリン入れるときやシェアウェアの代金を払うときにしか使っていなかったが、普通の買い物でも使えるはずだ。
 このカードのおかげでちょっと高い方の靴を手に入れることができた。
これで明日は足が濡れて不快な思いをすることはないだろう。また、普通の長靴とも違うので、安全に仕事できるだろう。
 こういった「投資」は必要なときに速攻でしないと。そして、やたらケチらない方があとあといいと思う。
私が…と違う点はここである(爆)
 いずれにせよ、早くこの仕事が終わって欲しい…。

12月12日() またまたパソコン店へ…。

 先週に続いて、また新潟市のパソコン店に行ってきた。最近買いたいソフトが結構増えたので、チェックして買える物は買おうと思っていたのだった。
 結局、買ったソフトは、「特打1・2」(「特打1」「特打2」を合わせて一枚のCD-ROMに収録したタッチタイピング練習用ソフト)だった。
完全にタッチタイピングできるわけではないが、大学時代よりも格段にタイプの速度が上がったと思う。
これもひとえにチャットICQの賜物だろうか?(笑)
 

12月11日() 技能士試験(技能)

 技能士試験の会場へは、余裕を持って行った。その方がその場の雰囲気に飲まれることがあまりなくなるはず。
 1時間も余裕を持って行っただけに一番乗りだった。試験の行われる部屋に入るわけには行かない。
外の待合室でこの前の講習の資料を読んで復習していたら、検定員の一人に「中入ってもいいよ。機械に触らなければいいから」と言われた。
 中に入って、あちこち見て回ったり資料を読んだりしていた。中は、洗い油の軽油とたばこの臭いが結構していた。「軽油は引火点(気化した油に火が飛んだときに燃焼する温度)が高いとはいえ、たばこをすうのはいかがなものか。ガソリンだったらもう火事になっているぞ」と思いつつ勉強していた。
 どんどん人が増えてきて、それに伴ってたばこを吸う人も増えてきた。たばこの煙は苦手なので結構きつかった。この種の職種の人って喫煙者が多いのだろうか?なんて思ったりもした。

 時間になって、試験が始まった。内容は11月25日の日記の通りである。はじめに私がしたのは、課題番号7の点検の試験だった。検定員は私に「部屋に入っていいよ」って言ってくれた人だった。
 やりやすい機械だったので思ったよりも楽だった。時間も7分ほど余ってしまった。隣で同じ機械で試験を受けている年輩の人は何かいろいろ言われていたようだったが…。
 その後、その他の試験をやっていった。結構やばかったのは、2と4だっただろうか(^^;
それでも何とかなったが…。
 私と同じ職種の所謂「一流メーカー」の人の若手も結構来ていた。別に彼らと競争しているわけではないが、
これはどうしても負けるわけにはいかない。そう思ったのだった。
 だって、ウチが一流メーカーとまともにやり合えるのは、きっと私たちの部署だけだろうから…。
 先ほどの年輩の方と試験の合間に話した。その方は販売店の方で、(多分そこの主人だろう)私の会社のことを知っていて、しかもウチの商品も扱ってくれていた。「今後もよろしくお願いします」とお願いしておいた。
 本当は「おそらく他のメーカーのよりも故障が多いでしょう。いつも申し訳ないです」って言おうとしたのだが(笑)
 だが、このことは会社に伏せておこう。さもないと、「どうしてあのときに宣伝しておかなかったんだ!」って怒られるだろうから。そう。一番上に…。
 結構この方は試験は苦手だったようだ。(試験慣れしていないって言った方がいいかも知れない)しかし、型にはまった試験だからうまくいかないだけであって(試験内容をウチの課の人に見せたら、「実際はこんな仕事まずないだろうな」って言われた)現実はこの試験よりも遙かに複雑で、解決するには受験勉強的な勉強で得たものよりも、実戦で得た知識がものをいうだろう。実戦だったら、この人にはかなうまい…。

 試験が終わった。特にこれといった大きいミスはなかったようだ。先輩も同様だったようだ。

 家に帰って少し休んだら、今度はタイヤ交換をした。暗かったので結構大変だった。
暗い中での作業は慣れてしまったとはいえ(爆)
 帰りにはあられが降っていた。明日は雪が降るだろうか?


12月10日(金) 支援してもらうか、自腹を切るか…。

 明日、技能士の試験がある。これは試験や講習会の費用は自腹で、有給使って講習会に行ってきたりしていた。これは一緒に受ける先輩も同様だった。
 そもそも、この技能士試験を紹介してくれたのが同じ課の人だった。その人は「会社なんて頼らないで、自分の資格なんだから自分で取った方がいい。自腹なら、誰も文句言えないから」って言った。
今思えばこれに従ったのは正しかったと思う。(12月6日の日記参照)
 先輩と私がウチの上司に呼ばれて言われた。「こういう、会社の役に立つ試験なら休みや費用は会社が負担したのに。結構受検料高かっただろう。今度から何か取ろうと思うときは俺に相談するようにな
 私は「そういう制度があったなんて知らなかったんですよ。今度から何か取るときは相談します。
と、「あ〜知らなくて損した(;_;)」って顔して返事をした。
 万が一、もっと上の人にこの件について聞かれても、「こういう制度があることは知りませんでした。上司も(私が)受けることはまったく知らなかったのです。報告しなかった私が悪いんです。この試験を紹介してくれた人も、費用とかのことは受ける人の問題なので、このことは言わなかったのでしょう」とでも言えばいい。
 こういう状況下では自腹切るべきだろう。そのほうが、よけいなことを言われずにすむ。
たとえ落ちても、問題にならないし。

 


12月9日(木) はぢめてのおつかい(爆)

 今日はいろいろあって、ウチの部署の本来の仕事をすることができた。
 トラックで倉庫に品物を取りに行き、積み込んでから、会社から30km以上先にある所に「お届け物」することになった。
 場所がよく分からないので、上司から地図を借りて出発した。このとき10時20分
 私の場合、こういうときは、近道よりもまずわかりやすい道を選ぶ(国道などの幹線道路)その方が、近道よりも燃料食うだろうが、確実に着けると思う。近道は帰りに通ればいい。
 私は「まずは効率よりも確実性、効率を考えるのはその後」これを貫き通そうと思う。これは今回の場合も同じである。
 目的地は1つ市街地を通過し、2番目の市街地の中にある。実はこの目的地は結構分かりづらいところにある。市街地に入ってからが特に分からなくなる。
 幹線道路から、1つ目の市街地に向かう。しかし、ここで、道を数本間違えて、時間をくってしまった。
1つめの市街地でも、2つ目の市街地に通じる道を探すのに少し苦労した。この時点で11時
 しかし、2つ目の市街地に通じる道を見つけてからは、距離があるものの楽だった。

 「自分のしていることが正しいのか?」それが分からないと不安になる。しかし、「自分がしていることは正しいが、時間がかかる」というのなら、不安は少なくなる。あとは、目標を達成するためにひたすら努力すればいい。
それと同じなのだろう。人生を道に例えることがあるが、分かるような気がする。

 やっぱりというかなんというか、目的地のある市街地に入ったら、さんざん迷う羽目になった。
しょうがないのでここの市役所の住民課に送り先伝票を見せて、「ここなんですけれど、どこか分からないんです…」って言ったら、地図までくれて親切に教えてくれた。この地図は大切にしないと。ウチの部署の人でもこの場所を正確に知っている人は少ないらしいから…。

 この地図のおかげで、目的地に着くことができた。わりと大きい道路からすぐだが、結構死角になるような場所にあるのでその近くを何度も通り過ぎていたのだった。
 早速目的地で店の人に挨拶して、さっさと品物をおろした。納品書を渡し、送り先伝票にはんこをもらって、
これでひとまず「お使い」終了。しかし、この時点で12時…。もうこれから戻っても、会社の弁当は食べられないだろう。仕方ないか…。どっかのコンビニでおにぎりでも食べることにする。
 帰りは近道で帰ってみた。かえってこっちの方がわかりやすいのかも知れない。
 帰ったら1時だった。もう休み時間もない。ついでに弁当もないだろう。
 「弁当食べに行けば?」って言われたけれど、もうないと思っていた。弁当のある場所を探したけれど、
ちゃんと奥まで探したがないようだった。まぁ予測の範囲だからいいやと思っていた。
 「まぁ、しょうがないですね…。時間くった俺が悪いんですから…」そうはいっても、その人は私を非常に気の毒に思っていたようだった。その人は、私と同じような年の子供がいる母親でもあった。
 自分の息子が…って思えばかなり不憫なのかも知れない。それをいえば、文句を言わずに黙って製造応援に行ってしまう私と、その一つ上の先輩も不憫なのかも知れない。


12月8日(水) 紅茶の葉

 12月3日にメモリアルカウントを踏んだ「紅茶水楼館」の管理者の方から記念の紅茶の葉が送られてきた。
紅茶の葉がかなりの種類入っていた。せっかくこのような形でいただいたものだから適当に飲んでしまうのはあまりに惜しい。同封の説明書きを読んで明日じっくり紅茶を楽しもうと思う。
 明日仕事から帰ってきたら、冷え切った体を暖め、疲れ切った心をこの紅茶で癒そう。そう思ったのだった。


12月7日(火) 無神経な言葉

 10時半の休み時間にて…。
 私はウチの部署の事務所で休憩していた。応援から帰ってきたときはいつもそうしている。
 そこで、ストーブの周りに大勢集まっていた。ウチの部署でない人もよくここに来たりする。
 その、ウチの部署でない人の一人が、私にこういった。
 「倉庫はだいぶ慣れただろう。ゆくゆくは倉庫課長だな(笑)
一体どんな気持ちで応援に行っているのか分かってるのか!
 「学校(大学)には、報告したか?先生はさぞかしよろこんだだろう」
 報告しましたとも。非常にがっかりされましたよ。せっかくの知識と技術を無駄にしているって。
「リフトなんて乗っていないで、コンピュータシステムの構築でもするべきだ」って言われましたよ。
 私自身のいい部分をまったく使わないで、「使えないヤツだ」って思われているんでしょう。という報告もしておいた。

 「部品を細かくコンピューター管理するんですか?部品番号を言えば在庫を照会してくれるとか(笑)」
(そんなことは技術的には不可能ではないだろうが、ウチがそんなシステムを導入するわけない
 「いや、しゃべるだけで材料を集めるようなシステムを作ればいいだろう」
(これも不可能ではないだろうが、非常にお金がかかる。さっきの以上に技術がいる)
 それよりも、ちゃんとした在庫管理体制を確立するのが先だろうが。音声認識システムを作っても
在庫がありません」が連発されるようでは話にならない。

 第二次世界大戦中に、「出撃する潜水艦に魚雷をより多く搭載して攻撃回数を増やすか?それとも、燃料をより多く搭載して攻撃のチャンスを増やすか?どっちが戦果をあげられるのか?」という問題から発展していった在庫問題。燃料なり、魚雷なりを搭載するスペースは限られている。倉庫もまたスペースが限られている。
 大量に在庫を抱えれば、品切れ可能性が低くなるが、在庫費用がかさむ。また、スペースを食う。
在庫を少なくすれば、在庫費用は低く抑えられ、スペースもとらないが、品切れする可能性が高くなる。
 この最適在庫を求めるのが在庫問題である。一方は、最高の戦果をあげるための、魚雷と燃料の量、
もう一方は在庫切れを減らし、なおかつ在庫費用を減らすための最適な量。本質は同じことである。
 しょっちゅう部品切れを起こすのなら、ちゃんと部品切れの確率を求めて統計とればいいのに。
それがうまくいかないのなら、安全率を高くみて、在庫を多めにしておけばいいのに。生産が止まるよりもましでしょう(笑)
 今のままでは、魚雷も燃料もろくに積まずに出撃してまともな戦果をあげられない潜水艦と同じである(爆)
装備を決定する権限を持つ者が無能だとその下の者は不幸である。会社も同様である(笑)

 さらにその人は、私の安全靴を見た。安全靴のつま先はもうこの作業でぼろぼろになっている。
「おまえの安全靴ぼろぼろじゃないか。靴を傷める作業をしているということは、うまい作業をしていないということだ。俺の靴もKさん(私と同じ課で前に一緒に出張に行った人)の靴はきれいだぞ。」
 今は、応援のためにKさんやこの人と同じ仕事をしていない。それなのに比較することは無意味である。それに…。
Kさん「この靴、一週間前に買ったんだがね(笑)」
「あ、そうか…」としか言えなかった。ざまーみろ( `Д´)
私は、ずっとストーブにあたって寒がっているふりしていた。
悔し紛れか「そういう風に傷だらけってことは、すねとか膝とか痛めるんだぞ」と言った。
 同じことを、倉庫で働いている人たちの前で言ってみな。

 それと、その人は、安全靴の傷が鉄板の入っているつま先だけに集中していることにまでは気がつかなかったようだ。わざとそうしているのだ。危なくなってどうしようもないときは、そこに物を落とすように。100kg程度ならびくともしない。
 やっぱり近視眼的なんだな。こう言うのを「木を見て森を見ず」ともいう。こういう人が情報を云々言うのはあきれて物も言えない。情報の末端を比較するよりも、事象の全体を見て物事を判断しましょうね(笑)

 しかし、最近めちゃくちゃ言っているな>私


12月6日(月) やりきれない思い

 出社後の朝…。
 お客さんから部品に関する問い合わせが来たが、どういうわけか電話って声が聞き取りにくい。
聞き取れても、相手の意図することが分かりづらい。おかげでお客さんに迷惑をかけてしまった。
 こうした電話応対は入社後すぐに学ぶべきことであるが、2ヶ月の研修は1ヶ月目の工場研修では、研修というよりも「労働力」として組み込まれていただけのようだった。2ヶ月めの部内での研修では、今考えればさして意味のない(ここの担当からしてみれば、意味のない上にさぞかし迷惑だったらしい)棚と部品の移動だけに時間を費やすはめになった。だから、そういった応対はどうしてもうまくいかない。
 私はチャットやICQでは饒舌だが、電話ではどうしてもうまく話せない。ネットで知り合った人たちは信じてくれないかも知れないが…。また、会社の人はこうしてコミュニケーションを取っていることは知らないし、例え知っていてもこんな風にうまくコミュニケーションをとる能力を持ち合わせているということは、想像の範囲外であろう。
 身近な人よりも、遙か距離を隔てた人の方が私を知っているのだ。これは、高校時代とかもそうだった。何ともやりきれない思いになる。


 製造応援にて…。
 私は、最近新しく入ったパートの人にいろいろ教えるように指示されていた。「私はただの応援なのにな…」と思いつつ説明していた。
 その人は私の母親と同じくらいの年だろうか?もう少し若いかも知れない。そして結構愚痴の多い人だった。
「あなた、こんな仕事やらされてよく我慢できるわね」といわれるが、「これも仕事ですから」と適当な返事をする。
しかし、心の中ではらわたが煮えくり返っているのだ。私も愚痴りたいところだが、こっちで愚痴って調整しているので何とかなっている(^^;
 「あの子、大学出ているんだよ。あの人製造じゃないんだって」とかなんとか、女の人2人で私の話をしていた。「こんなことさせられてかわいそうにねぇ…」私は何とも答えようもないので、私が操作していた、ホイストクレーン(天井クレーン)の音にかき消されて、そんな会話は聞こえなかった…ということにしておいた。
 時間が遅くなって、部品も足りなくなったので、まともに作業ができなくなったので、あるだけの部品を整理することにした。
 さっきのパートの人「ここって給料いいんだ?」
 私「それは聞かないでください(;_;)」
 ヤバめの話だが、強風で倉庫ががたがたいっている。他の人には分からないだろう。
 私「少なくとも、県の平均賃金でいえば高卒1年目よりも少しはマシ…なはず、全国的にいえば…」
これ以上話す気は失せた。
 パートの人「うちの子は…高校しか出ていないんだけどさ、手取りで○○万円くらいもらってくるよ」
 私「私とたいして変わらないじゃないですか…。ふぅ(ため息)せっかくがんばって大学出たのに…。親にさんざん負担かけたのに…。親不孝者ですよ俺は…。なんてことだ…。
 私「なんだか普段よりも疲れました…」
 そういえば、通勤の時のラジオで、個人情報でもっとも知られたくないことの1位は男性は「年収」、女性は「日記」だということを言っていた。
 男にとって、年収というのはその人の能力を示す尺度の一つになっている(と思う)そして、隠そうとすれば隠せないこともない。本人の外見ではそれは分からない。

 とにかく朝の件も含めて、こういったことが続くと、新人が育たなくなって、数年後には会社が一番困ることになるだろう。電話応対もできない、本来の仕事も満足にできない…。いつになっても会社の戦力にならないのだ。
こう言うのは、急激に影響が出ないが徐々に、そして深刻な問題になるだろう。こんなコトはちょっと長期的に物を見る目があれば分かるはずだが、それを期待するのは無理なようだ。
 ダメなヤツはとっとと切って、次のヤツを入れればいいとでも思っているのだろうか?こんな体質ならきっと同じコトを繰り返すのだろう。最後にはどうにもならなくなるだろう。
 



 製造応援が終わって…。
 今度の土曜日に、一緒に技能士試験を受ける先輩がいる。その人と一緒にうちの部署のベテランから電磁バルブの話を聞いていた。金曜の午後に実際に分解して説明してもらえることになった。

 タイムカードを押して帰る途中の会話。
 私「電磁バルブの件って、仕事あがってからだと思いましたよ」
 先輩「俺もそう思ったけれど、本格的に教えてくれるみたいだ。しかし、「会社の時間を使った」ってことになると資格を取った後でいろいろまずい。これも社員教育の一環と見るのが普通だが、ここは…」
 この先の言葉は聞く必要なかった。
 先輩「これだと、もし(会社を)やめるときになったら、免許(資格)返せって言われそうだな(笑)」
 私「まさか、たったの数時間会社の時間使っただけでそれはないでしょう。受験費も自分持ち、講習会も有給使って出たんですから」
 先輩「いや、この会社なら言いかねない(笑)
 私「確かに…(苦笑)」
 社内資格でない限り、絶対に会社の権限で資格を剥奪することはあり得ない。もし、会社の権限で剥奪できるのなら、その資格(と発行者)の権威は失墜する。
 しかし、こういう冗談が出ること自体、もう問題である。
 この後、この話がもっと発展して、もっとヤバい話になったが、これ以上は「以下略」である。
しかしそれは私の図星を突かれるような話であった。とにかく今は書けない。時期が来たら書こうと思う。


12月5日() 新しいものと古くからあるもの

 昨日のDFML-560Eの不具合は、56kで接続しようとするから起きる物だと考えた。
V.90/K56Flexというプロトコルは、初めは、56000bpsで接続しようとするが、通信回線の関係でそれがダメな場合、54000、50000…44000といった感じで通信速度を下げるように設定するみたいである。
 で、その最中にタイムアウトして切断。どうしてもつながらない…、ということになるようだ。
 そして、私の家の場合モジュラージャックからモデムまでの距離が結構長いので最高速でつながらないのだろう。普段は44000bpsくらいでしか接続できない。
 それならば、初めから44000bpsで接続してしまえばいいということになる。
 それには、コントロールパネル→モデム→プロパティ→「接続」タブ→詳細で追加設定の所に「AT+MS=,,,,44000」と設定すればよい。これで最高で44000bpsの接続になる。
 これで、以前の28.8kモデムより少し接続に時間はかかるものの、確実に接続できるようになった。
もう28.8kモデムは外してもいいかな…。
 

 昨日買ってきた「筆まめ」をインストールした。インストールには特に問題は起きなかった。
 両親に今までの住所録を入力するように頼まれていたので、住所録を借りてきた。この住所録、10年以上前から使っているようで、あちこちに訂正の跡があった。
 7桁郵便番号が分かっている場合は、そこから住所を検索、逆に住所だけ分かっている場合は、住所から7桁郵便番号を検索…。というふうにやっていった。
 問題は、難読な名前や住所。普通の読み方で打ち込んで適当に直すっていう方法がよく使われるが、正しい読み仮名が入らない。読み仮名が正しく入らないと、いざ検索という段階で困る。
 パソコンソフトを操作し、入力することは簡単だが、こういったパソコン以前の問題で足止めを食うのは気分が良くない。どうして、通常の読み方の名前にしないのだろうか?どうしてわかりやすい読み方の地名ではないのか?
 パソコンで漢字変換する際に非常に困る。しかし、こうした人名には、その両親の願いが込められている(と思う)
地名には遙か昔からの歴史がある。それの重みを考えると、その程度の面倒くささは大したことないのかも知れない…。

 意味なくただ古いだけとか難しいだけっていうものにはあまり関わりたくない。でも、それに意味があり深みがあるものだったら、少々面倒でもいいやって気分になる。
 また、いくら新しくても、それを使いこなせないようなのもイヤだ。だから、できるだけ使えるようになるよう努力する。
 今回の「筆まめ」も早く使いこなして、綺麗な手紙を印刷できるようになりたい。本当にそう思う。


12月4日() 多忙な日

 午前中は数カ所の医者に行った。帰ってきてメールチェックしたら、昨日のページの管理者からの返事が来ていた。
 午後はパソコン店に買い出しに行った。56kのモデムと、年賀状印刷用ソフトを手に入れるためである。
 前回のモデムの件もあって、内蔵型モデムはさけることにした。(全般的に内蔵型の方が安いのですが…。)
買ったのはIO-DATAのDFML-560Eという機種だった。以前使っていた、IFML-560(IO-DATAの内蔵型モデム)の外付け版のようだ。
 年賀状印刷用ソフトは「筆まめVer.10」を買った。私は字が下手なので、年賀状などの手書きの手紙を書くのをおっくうに思っていたが、もうそんなことを思う必要はなさそうだ。
 店を出ようと思った時に偶然大学の後輩に会った。私のことは、この日記でだいたいの近況を知っていた。
だから、ここでは書けない(笑)もっと詳細な近況を話した。彼や大学の様子も聞いた。向こうは向こうでいろいろ大変らしい。


 家に帰って早速モデムのセットアップ。シリアルポート(COM1)に接続されていた、今までの28.8kモデムを外してそこに説明書通りにモデムをパソコンに接続し、モデムとパソコンの電源を投入。
 プラグアンドプレイが無事に作動し、ドライバもインストールすることができた。しかし、ダイヤルする事ができない。モデムのプロパティなどを設定し直したり、通信ソフト(Tera Term Pro)を起動してシリアル接続し、ATコマンド(モデム制御コマンド)を片っ端から試した。ATD177(177にダイヤル)で天気予報は聞けたし、ATDxxxx-xx-xxxxでプロバイダにもアクセスできたが、PPP接続を使っていつも通りにダイヤルしようとすると、ダイヤルすらされずに止まってしまう。今までのモデム用のドライバとぶつかっているのかと思って、今までのモデムのドライバを削除したが、単に以前のモデムが使えなくなっただけだった。
 仕方がないので、以前のモデムのドライバを入れ直し、DFML-560Eは、COM2に接続することにした。これなら、COM1、COM2にそれぞれ1台ずつモデムが接続していると認識されることになり、問題ないだろう。
 今度はさっきの苦労がうそのようにダイヤルもネットに接続もできるようになった。
 以前のモデムは、大切にしまっておいた。DFML-560が壊れた際のスペアの意味もあるが、それ以上にこのモデムは私にとっては大切なモデムなのである。
 モデムの件で疲れたので、「筆まめ」のインストールは明日にでもすることにした。


 これでテレホタイムにFTPでアップしようとしたら、またつながらなくなってしまった。通信音はでるが、やたら長くしまいには切断されてしまう。ログを見ると「応答がありません」このページのあるプロバイダはV.90/K56flex対応のはずだが、混雑するとダメなのか?
 そういえば、4月頃に56kモデム使っている際も同様のことが起きたことがある。このモデムが故障して28.8kモデムを使ったらそういったことが皆無になった。大学はサーバ側が33.6kまでしか対応していなかったので、56kモデム使ってもそういったことがなかった。
 はっきりとした原因が分かり、対応策が見つかるまで、当分は両方のモデムを使うことにする。
56kモデムでつながるときはそれを使い、ダメなら28.8kというふうに。
 それにしてもいい加減イヤになった。今日はさっさとふて寝する事にする。
 

12月3日(金) ネットって広いようで…

 推進委員会チャットの常連の人のページのリンクからたどったページでメモリアルカウントを踏んでしまった。
しかも、その人のページの管理者は推進委員会のページやCG等の付属ドキュメントなどでよく名前が載っている人だった。
 インターネットって広いようで意外と狭いのね(笑)
 そして、メモリアルカウントを踏んだ旨をその管理者にメールで報告した。


12月2日(木) 心暖まった夜

 11月23日に「Campusの小説を探したけれど見つからない」という旨をこの日記に書いたところ、その日のうちに、私が寝た後のICQに「こっちにはたくさんありましたよ。買っておきましょうか?」という、チャットで知り合った人のメッセージが入ってきた。
 次の日に、その人に送ってもらえるようにお願いした。送料や代金送付方法などもICQやメールで交渉した。
 月曜日に発送、届いたのが今日…。というわけだった。関西方面からだから若干時間がかかったようだ。
 仕事から帰ってきたときにはすでに届いていた。
小説はとてもよかった。心理描写とか暖かさがすごく伝わって最高だった。
 そして、これがもっと重要なのだが、この小説を手に入れたプロセスそのもの。これも心暖まる出来事だと思う。小説を送りましょうか?って話を持ちかけてくれたこと。互いに面識はなく、チャットとICQのみでしかその人柄を知らない間柄であるのにも関わらす、互いに信用し(信用できる人だと判断できた)こうしたやりとりをしたこと。小説はフィクションだが、これは自分の身に起きた紛れもない事実である。


 世の中、目で見える「カネ」や「モノ」や「肩書き」でした人を判断できない人も多い。
こういったことで物事を判断することは実に簡単だと思う。金額換算できるモノで判断するのは簡単である。
 だが、それ以外の、例えばその人の人間性で信用できるかどうかを判断することは難しい。文字だけのやりとりだともっと難しい。(実はこんな話も小説が届く間にしていたり…)

 ちなみに私自身は、誰でも簡単に信じてしまうようなお人好しではありません(笑)
だから、いきなり勧誘のメール送っても無駄ですよ(爆)


12月1日(水) 筋肉痛

 今日、朝起きたら握力がほとんどなくなっていた。どうもかなり疲れていたらしい。
それでも仕事していくうちにだんだん回復していったからよかったものの…。
 キーボード打ちまくってもほとんど疲れないのに、どうして仕事ではこんなに疲れるのだろうか…?

 しかし、「師走」だからって1日目からこれかい(笑)

 ところで、昨日書いた「きつねとけい」だが、こうした辛い時期を乗り越えたあとの3月のバックグラウンドは、すごくすがすがしい気分にさせてくれる。
 そういえば、ちょっと前のラジオで言っていた。「雪に閉ざされて、それから雪解けを迎えて春が来る。だから、「今辛くても、明日があるさ」って気分になれるのだろう。
 だから新潟県人は忍耐力があると…。って話を新潟県外のゲストがしていた。
それなら、きっと、北海道や東北の人も同じだろうけど…。

 それにしても、今まで一体何回「雪→雪解け」のプロセスを経験したのだろうか?