日記(1999年10月分)
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1999年
10月31日(日) 激走99
結局、このモデムカードを店に持っていくことになった。その場で初期不良交換と言うわけに行かず、別な場所で初期不良か相性問題かのテストをするらしい。
しかし、馬鹿馬鹿しい…。とっとと返品に応じてくれれば、お互いに時間的なロスをせずに済むだろうに…。
その時間でその店の従業員の時間当たりの給料分が吹っ飛ぶぞ。もっとも、高価なハードウェアもあるわけで、「前例」を作ってしまうと後々困るっていう事情も分かるが…。
せっかく店に来たのだから、何か買っていくことにした。ゲームのコーナーを見てみたところ、「激走99
in Europe」というのが2000円以下で売っていた。(USA編と、JAPAN編はなぜか4000円くらいだった)
このゲームは以前、雑誌の体験版に「TEST DRIVE5」という名前で入っていた物だった。(「激走99」は日本語名)ゲームを買う金がなかなか出せない私は、昔から結構体験版をやりこんでいた。
で、この「TEST DRIVE5」もやりこんでかなり楽しめていた上に、この「激走99」が激安だったから買ってしまったわけだ(笑)
とりあえず、モデムカードのことを忘れてインストールする。何の問題なく起動。TEST
DRIVE5がそうであったうように、これも4Mのグラフィックボードでも表示するには十分だった。
問題は、このCDを入れるたびに、Install Sheldが自動的に立ち上がってしまうことだ。このCD無しでもゲームはできるがBGMが聞けなくなってしまう。それ以外は特に不満な点はない。
ジョイパッドの設定をTEST DRIVE5と同じように設定してやってみた。本当はハンドル型のコントローラーが欲しかったりする。結構プレビュー画面で見ていると、どんなになめらかに操作したつもりでもカクカクになってしまうから…。(ついでにハンドルコントローラーの「フォースフィードバック」も体験してみたいものだ)
10月30日(土) 怪しいモデムカード
今日、56kモデムの中古をパソコン店で買った。PCI接続のカードで、聞いたことないようなメーカー名だった。
しかし、ドライバ類も付いているし壊れてさえいなければ、説明書無しでもとりあえず認識させることはできるはずである。(ほとんどの中古パーツはそうして使ってきた)
ところが、このカードをPCIスロットに入れて再起動してもまったく認識しない。もう一回入れ直して再起動しても、今度は異常にCPUに負担がかかったような重い動作しかしなくなる。
これ以上いじってもおかしくなるだけだと思ったので、とっととあきらめることにした。
明日、可能なら返品してこようと思う。(これが単なるカードの故障なら話は楽なのだが…。相性問題だと返品できない)
10月29日(金) 一体いつまで…。
会社の例の製造部応援、まだ当分終わらないようだ。なんでも生産が大変だとかで…。
この調子だと、きっと11月も12月もそうなのだろう。ウチの部署も決して暇ではない。ウチの課は2人で作業するはめになっている。そういえば、一昨年までは2人でやっていたわけで、別に私たち2人がいなくてもどうってことないと上の人は思っているのだろうか?新人を育てないことのツケをきっと2〜3年後には払わされることになるだろう。
…。もういいや。私には何もできないんだから。
10月28日(木) WinLinuxとシステム復旧
約1週間かけてWinLinuxをDLした。これは、通常のLinuxと違ってWindowsからLinuxを起動する(実際はDOSからの起動になる)ものである。
一週間もかかったのは、このWinLinuxが約140MBもある上に、FTPサーバが混んでいてなかなか接続できなかったからである。GetRightなどのリジューム(DLの途中からのやり直し)が効くソフトが絶対に必要である。(ちなみに20回以上リジュームした)
さて、インストールであるが、フルインストールだと1GBくらい必要になるようだ。
通常のインストールでも270MBくらい必要になる。これで、WinLinuxのアイコンをダブルクリックすると、DOSモードで再起動する旨が表示され、リブートされてWinLinuxが起動する……はず。
が、途中で止まってしまう。いろいろ調べてみたところ、Windowsを起動せずにDOS→Linuxと起動できるバッチファイルがあったので、それを使って起動!
今度は、起動した旨の表示が出たが、やはり他のLinuxと同じようにKernel
Panicの表示が出て止まってしまう。起動中に2台目のHDD(8.4GB)が正常に認識されていないことが分かる。が、以前パーティション切り直し等、いろいろ試したが、どうしても直らなかったのでそのまま使っていた。Windowsで使う分には特に不具合がないからだ。
結局、この8.4GBHDDを何とかしないとダメらしい。必要なのは安全なバックアップ方法と容量の同じHDDだが、前者はともかく、後者はもうちょっと値が下がるまで待つことにする。
今回もあきらめる羽目になったが、今度はWindowsが起動しなくなってしまった。さっきのバッチファイルが、autoexec.batとconfig.sysを書き換えてしまったらしい。DOSの場合、これを書き換えることで、起動時のファイルを指定したり、デバイスドライバなどの組み込みを行った。Windowsでいえば、前者はスタートアップで後者はレジストリのようなものだ。
仕方がないので、Winの起動ディスクからDOSを起動し、こういうときのために備えて前もって入れておいたFD(DOS用のファイラー。PC9801FXを使っていたときかなりお世話になった)を起動し、この2つのファイルのバックアップ(*.bak)を使って前の状態に戻した。
これがあるとレジストリが破損した時も簡単にバックアップから復旧できる。(user.000とsystem.000がバックアップなので、それぞれuser.dat、system.datにリネームして再起動する。レジストリ書き換え用のアプリで作成したバックアップがあるのなら、それを使った方がいいかも知れない)
こういうときにDOSの経験があると便利なものだ。あとは、FDなどのファイラー、エディタがあると作業がやりやすくなる。FDはVectorからDLしてきた。DOS/V用もあったのは非常に助かった。
なお、これを読んで同じようなことをしてWindowsがクラッシュしたりしても、私は責任を負わない(というか、負いようがない)
10月24日(日) 大学祭
昨日から大学祭があることをすっかり忘れていた。
このことに気がついたのは、後輩からの私の伝言板への書き込みのおかげだった。
大学に行って、先輩や後輩や、先生方に会った。
先生には「就職してどうだね」と聞かれた。「君はなかなかいいところに入ったじゃないか」と言われたので、
「入ってからでないと分からないこと」を話した。就職活動している人たちへの情報提供を兼ねて(笑)
そういえば、この先生は就職ガイダンスもしているのだった。
「もっと大学で学んだ知識を生かさなきゃ」と言われたが、それができない現状がある。
それをしようとすれば、私は「そんなことする暇があったら、作業効率を上げろ」と言われ、
課長は「誰がそんなことやらせていいと言った!」と言われるのがオチである。
先生にはこの実状を理解していただけなかったが、それはその先生の責任ではない。「実状」のほうがむちゃくちゃだからだ。
私だって、大学で学んだことを何らかの形で役に立てたい。いまはダメでも数年後にはそうしたい。でもそれも無理なようである。周りを見ればそれがよくわかる。
……じゃあ何で私なんか採用したのだろうか?
もう一人の先生(経営学)には、ある程度現状が伝わったようだ。
また「たくましくなったみたいだな」と言われた。倉庫作業で筋力がついたからだろうか?
顔が日焼けしたとも言われた。
「泣き言言わずに、仕事を続けているようだな」
これには「言っていますよ。ページの上で…(笑)」と言うしかなかった。
私のいたサークルの出し物があったので、それを見ていた。みんなずいぶん成長したような気がする。
私はその後輩の成長に寄与できなかったのを残念に思った。私はいい先輩に恵まれたが、よき先輩にはなれなかった…。それを再認識させられた。
後輩とはほとんど話さなかった。話したのは伝言板で大学祭のことを知らせてくれた後輩とだけだった。
10月23日(土) ワープロ検定の申し込み書が届いたが…。
ワープロ検定を受けようと思って、数日前に検定の問い合わせをした。その申込書が届いた。
その申込書を読んで、やっかいなことに気がついた。
そこには「検定に使うワープロ・パソコンは各自持参してください。こちらでは貸し出しはいたしません」
とあった。検定では、打ち込みの他にプリントアウトもする。
ノートパソコン+プリンタがあればそれで済む。私のところではデスクトップパソコン+ノートパソコン用でないプリンタしかない。
まさか、デスクトップパソコンやらモニタやらプリンタを持ち込むわけにはいかないし…。こまったものだ。
いっそのこと、モノクロ液晶でDOSが動くノートパソコンの中古でも探すか(笑)知り合いで誰か持っていればいいのだが…。
10月22日(金) せっかくうまくいっていた仕事なのに…。
「運送屋」を始めてから3日になる。リフトでけん引する作業もずいぶん慣れた。いろいろ工夫して考えながら仕事をしていたので、ずいぶんスムーズにできるようになったと思う。
しかし…。やっぱりというか、なんというか、しょうもないことでケチがついた。
この人の言うことは、この会社の人は誰も逆らえない。「はい。分かりました」と言うしかない。
こうなると、その後の作業はうまくいかなくなる。やる気がどうのという問題ではなく、「失敗したらどうしよう」という考えが先になってしまうのだ。そして、失敗に対するおそれが、学習能力を阻害する。(この辺は「教習記」で述べた通り。またこのことは心理学的にも言われていることである)
しかし、上に立つ人間はその下の人間の能力を引き出して仕事をさせなければならないはずなのに何ということだろうか…。
この「下っ端」(私自身のこと)一人満足に扱えないとは…。
この「下っ端」の扱いは、私に「「運送屋」をやれ」と言った人、リフトの運転の注意事項を教えてくれた人、うちの部署の課長、そしてその部署の私の一つ年上の人の方がうまい(笑)もっとも扱いがうまい人を挙げたらきりがないが(爆)
そういえば、「機械はそれを操る人の能力以上の働きをしない」という言葉を聞いたことがある。(爆笑)
10月21日(木) 「できない」と言う勇気
昨日のリフトでの作業で、「フォークリフト運転士」という資格に興味を持ち、インターネットで検索していたところ、フォークリフトのページはなかったが、移動式クレーンのページがあった。
このページは、クレーンと縁のない人でも分かるように親切にクレーンのことを解説していた。その中でクレーン操縦士の心得のところでこのようなことが書かれていた。
「ものごとがはっきりと言えること。クレーンに対して無知な人が無理な要求をすることがある。その要求に答える努力はすべきであるが、まったく無理なことは断固として断らなければならない。」
これにははっとさせられる思いだった。社会人は、どんなことでも率先してやらなければならないと言われ続けていたからだ。「できません」と言うことは、恥であり学生時代の甘えが残っているとそう見なされていた。
しかし、私は「できません」を今まで何度も言った。学生時代の失敗ははその結果が自分に返ってくるだけで済んだ(単位を落とすなど)しかし、社会人の失敗は「できない」くせに無理してやったら、命に関わる事故が起きる可能性がある。
だから「できません」と言って「使えないヤツだ」と思われてもそれはそれで仕方がない。私自身が笑い者になるくらいで済む。そして、ケガする人が出ずに済む。
「できない」と言って、笑い者にされて辛い思いをしたことはたくさんある。例えば、体育なんてそうだ。
「よしゆきのヤツだけできないんだって。簡単なのにね…くすくす」って…。
だから、今更笑い者にされてもたいした問題ではない。人の命という尊いものに比べればなおさらである。
「何でも積極的にチャレンジしなさい」という。なにかする勇気。できるかどうかはっきりしないのに「できる」ということより、本当にできない要求に対し「できない」ということのほうが遙かに勇気を必要とする事ではないのだろうか?
10月20日(水) 超低速な運送屋
まだ現場での作業だが、作業内容が変わった。前までは、倉庫内で工場に送る部品を集めて台車に載せることだったが、今度はその台車を工場に運ぶ仕事である。
台車を7台くらいロープとフックで連結して、それをフォークリフトで工場内の各所に運ぶ。
これが結構難しい。発進が急だと荷物に与えるショックが大きい。長ければ長くなるほど、曲がるときの操作が難しい。工場内によっては、フォークリフト+10cmくらいの幅しかないところがある。それの中を台車もぶつからないようにして通らなければならない。
「目的地」に着いたら、エンジンを切り、素早く台車を切り離して、必要としているところに置かなければならない。違うところに置くと迷惑をかけてしまう。
置いたら素早くバックしてさっさと立ち去る。いつまでもリフトがあると作業の邪魔になるのと、現場の人以外でうるさくいう人によけいなこと言われるのを避けるからだ。正直言ってバック2速で立ち去りたい所だが、危険すぎる。しかし、おかげでシフト操作がやたら早くできるようになった。
リフトには走行系のレバーが2つあって、1つは前進・後退。もう一つは1速・2速である。だから、前進でも後退でも2速に入れることができる。
「現場」を脱出(ぉぃしたあとは、空の台車を素早く取り付けてさっさと(でも1速で(笑))倉庫に戻る。その台車はまた部品をいれるのに使われる。部品の入った台車をまた運ぶ…。この繰り返しだ。
これを何十回繰り返したかは忘れた…。
しかし、そんな中で、「いかにショックを与えないで走るか」「いかに台車を安定させて走るか」「いかにショックを与えずに停止するか」などを自分なりに工夫していた。
そう。単調な作業の中でも色々考えれば、それはそれで楽しめる。(いい意味で)ゲームだと思えばいい。
私たちの世代の人間は、ゲームだからといって手を抜くようなことはしない。むしろ何時間もそのゲームを真剣にやり続けることができる。ただ、これは通常のゲームと違ってリセットできず、また最悪の場合取り返しのつかない事故になる可能性があることを留意する必要がある。
10月18日(月) モチベーションの与え方
「何を作っているんですか?」
「知らない」
注釈に「F15戦闘機のシートの部品を作っている作業員」とある写真。
これは、私が小学校高学年のときの社会科の資料集にあったものである。(うろ覚えだが)
この資料集のこの部分が、未だに心に残っている。自分のやった仕事が明確な形で分かる仕事がしたいって思っているのは実はこのためである。
「ある縫製会社では、作業能率があがらなくて問題になっていた。従業員の大半はパートの女性だった。そこでこの会社の社長が行ったことは、この会社で作った服を従業員がよく通る所に何気なく展示することだった。
すると、作業能率が飛躍的に向上した。これは、自分たちがした結果を明確な形で見せられたからだろう」
これは私の会社から「読め」と言われた本の一部である(こっちもうろ覚え)
モチベーション(Mothivation)とは、「動機づけ、刺激、行動する意欲、やる気」という意味である。
私たちが作業しているところでは、偶然にも完成した機械を自走させて大型トラックに積み込むところが見える。
また、私たちの事務所のそばの倉庫は一時的に完成品が置かれるところでもある。
私のような「機械好き」にはこういった完成品(しかも動いている!)を見せられることは、この縫製会社の従業員と同じ効果があるが、そうでない人たちはどうなのだろうか?
そして、これはあくまでもスペースの関係上による「偶然」である。なぜなら、それ以外の機械を動かしているところはそこから見えないからだ。
せっかく、そういった本でこういったことが書かれているのだから、「偶然を装った必然」で見えるような工夫をすればいいのにと思う。
自分のした仕事そのものは、全体から見れば些細なことかもしれないが、それが重なったときに力強く、そしてすばらしいものが生み出されるのだ。それ自体モチベーションとしては十分だろう。
知識は覚えるだけでは意味がない。かといって、そのまま現実の問題に適用しても意味がない。かえってよくない場合もある。知識は自分(たち)の置かれた環境に合わせて臨機応変に応用して適用することが重要だと思う。
10月17日(日) 再会
うちの大学でとある大会がある。その際に、サークルの先生や先輩方や後輩たちに会うことになっている。
その後で英検を受けるために新潟市内の某中学校に行くことになっている。昨日の下見で、中学校のそばに駐車場があることが分かった。とくに駐車で問題になることはないだろう。
なんだかんだして、大学に行くのが遅れた。10時半頃に着いた。
「お久し…ぶりです」
久しぶりに会ったのでこういう感じの挨拶になってしまった。
先輩「あなた、あまり変わっていないわね」
私「ええ、変わっていません。染まっていない証拠です。そういってもらえて良かったです」
私「俺って卒業の時から見て変わったか?話し方やら、歩き方やら…」
後輩「いえ、全然変わっていないですね(笑)」
私「良かった。「染まる」と歩き方すら変わるらしい。それはほめ言葉だと受け取っておくよ」
心理学用語で「取り込み」という言葉がある。これはある集団に属したさいに、無意識にその集団と同じような行動様式をまねるようになるということである。
そうするのは、その集団が好きだから「同化したい」と思うからである。好きなタレントの真似をしたがるのもこれに含まれるらしい。
逆に、その集団が「嫌い」な場合もそうなる場合があるらしい。
どこかの本で読んだ受け売りだが、その本がちょっと見つからなかった…。
後輩はあまり変わっていないような気がしたが、先輩方はなんだかもっとオトナっぽくなったような気がした…。
後輩の一人に会社のことを聞かれた。私は彼にこの日記ではやばすぎて書けないこと(笑)まで話した。
が、いまいち現状を認識してもらえないようだった。(先輩方はすぐに分かってくれた)やっぱり話だけ聞くのと、実際になってみるのとの差なのだろう。彼にも来年分かるはずだ。
大学に着くのが遅かったので、結局1時間ほどしかいることができなかった。次は英検の会場に行かなければならない。
英検会場の中学校はどこか懐かしい感じがした。時間割、教室の後ろに貼ってある絵、黒板に貼ってある筆書きされた「希望は大きく」の紙、小さな机…。
楽しい中学校生活を送りたかった…。しかし、もうその時間は戻ってこない。やり直せたとしても多分やり直さないと思う。
英検であるが、1次試験は全てマークシート方式だった。しかし、マークシートとはいえ適当に書けば大丈夫な代物ではない。ろくに勉強できなかったのもあるが、結果はさんざんだったように思う。
しかし、英検の方はやり直しがきく。黒板の紙ではないが「希望は大きく」持たなくては…。
10月16日(土) 大学への道
17日に大学に行く用事がある。また、同日に新潟市の方にも別な用事があってこっちは下見が必要である。
駐車場が確保できるかどうかを調べるためだ。
本当は後者の用事の際には車で来てはならないのだが、明日が大学にも行くのでどうしても車が必要になる。
夕方、雨の中でかつて大学へ通学していたときに通っていた道を6ヶ月ぶりに走った。とても懐かしかった。あのころは、卒論の時のように忙しい時はともかく、時間がゆっくり流れていたような気がする。だからこそいろいろなことを深く考えることができたのだろう。そういうふうに考える時間を持つことは大切だと思う。
大学の周辺はだいぶ店などが建つようになった。入学当時は、大学の売店が閉まるとおにぎり一つ買うのに苦労するくらいひどかったのに、コンビニまで建っていた。
その後に下見に行ったが、駐車可能であることが判明した。明日は完全に自分の都合だけの用事で忙しくなりそうだ…。
10月15日(金) 私の日記
現在の私のページは、大学時代のそれと比べて2倍以上のアクセスがある。
そういえば、このページもこの日記を初めてからアクセスが伸びたようである。
しかしながら、アクセス数が稼げないページの一つとして、とあるページで「自己紹介と男の日記のページ」があげられている。(実はどんなページにこの例があげられていたか忘れてしまった)
そこで、いつものチャットで、私の日記を見ている人に聞いてみた。
「私の日記のどこがいいんでしょうね?」
その問いに対して、一度読むと次が気になるとの返答が得られた。
日記よりも私自身の「行く末」が気になるのかな?と聞いたところ、苦笑いされてまった(苦笑)
いずれにせよ、「一度読むと次が気になる」というのは大きいと思う。何気なく立ち読みした雑誌の漫画の次が気になって、いつしかその雑誌を毎週(毎月)買うようになった…。というのは決して珍しくない。
それと同じことなのだろうか…。
10月14日(木) いま役に立つウェイトトレーニングの知識
かなり長い間、結構力を使う仕事をやっている。いわゆる「重労働」と言うほどでもないが、それでもかなりきつい。
家に帰ると筋肉痛になり疲労がかなりたまる。しかし筋肉痛になるということは、筋力アップのチャンスである。なぜなら、筋肉を使った後で適切なケアをすれば超回復(筋肉痛がなおったときに、少し筋力が付くような回復のしかた)するからだ。
実は、大学時代にウェイトトレーニングやっていた。きっかけは、体格のあまりの悪さに相当強い嫌気を感じ、せめて体格がダメなら筋力だけでも…。と思ったからである。
大学では主に上半身主体、最大筋力重視でやっていた(ベンチプレス62.5kgとか…。最大筋力使うと、超回復の関係で1〜2日は同じ筋肉で同じことができない)
トレーニングの仕方によって、最大筋力を伸ばしたり、筋持久力を伸ばしたりできる。
前者は最大挙上重量に近いものを数回やり、後者は割と負荷の軽いものを何回もやる。
前者のトレーニングは卒業以来やっていないが(というか、やる余裕がない)後者は、仕事の中で自然とできてしまう。大学時代に割と急いで筋力をあげていったので落ちるのも早いと思ったが、体つきは変わっていない。むしろ前よりも筋肉が付いたと思う。
こういう、きつい仕事をしているときは「仕事でお金をもらいながらウェイトトレーニングもやっているんだ。今持っている材料はウェイトで、これで筋持久力を付けているんだ」…と思うようにする。そう思えば少しは楽になるだろう。
ちなみに、「トレーニング」してから3時間以内にタンパク質をとり(牛乳など)ゆっくり風呂に入り、十分に睡眠をとれば超回復する。タンパク質が筋肉になるのだ。
10月13日(水) ケガと問題発見能力とやりがいと…。
最近やたらと体調が悪くなったり疲れたりすることが多い。むち打ち症のせいかもしれない。
それか単なる疲れなのか…。
いずれにせよ、今日は病院に行く日だったので会社を代休とって休んで行くことにした。
その旨を医者に話したが、結局痛み止めの点滴をする羽目になった。
午後は休みなので、久しぶりにえみりさんのチャットに行ってみた。ここは平日の昼間ににぎわっていることが多いようだ。つまり、普段私が会社に行っていると参加できない。
私は病院に行ったこと、このけがによる周りの人たちのことなどを話した。周りの人の目は冷たく、会社にとってもマイナス評価である。
「病休は取れないのか?」と聞かれた。一瞬「何それ?」と思った。私の場合、事実上有給が病休のようなものである。
そして有給がらみでこうも書いた。余暇って言葉もある。しかし、ウチは「余」った「暇」なんてない!って感じでしょうか…。とも。
大学のゼミの先生に近況報告を兼ねて電話してみた。
今まではぜんぜん連絡していなかったが、「便りがないのは元気な証拠」と言ってくれた。
全然事故の話などをしていなかったので、まずそれを話した。次いで会社関連の話も…。
私は言った「ゼミで「問題発見能力」を鍛えられたからいろいろ見えて来るんですよね…」
(何が見えてくるようになったのか推してしるべし(^^;)
「いや、君はゼミに入る前から、この「問題発見能力」に優れていた」
……
話が進むうちに「今日の夜NHKで、なぜ若者は会社を辞めるのか?」という内容の放送があるからみるといいと言う話がでた。
この番組を見てみた。この中で特筆するべきことは、やりがいの話で就職前に書いた「馬車道オフ」の後半に書いたこととかなり類似点が多かったことである。
「自分が何をやってどうなったかが、形(または人の心)に残る。それがやりがいなのではないのか」と。
10月10日(日) 「体育の日」だが…。
朝起きたら、鼻水が止まらなかった。せっかくの休日だからバイクで走ろうと思ったのだが、それどころではないようだ。普段が忙しくて家に帰ると疲れるから、バイクどころではない。バイクに乗れるのは休日くらいである。
それなのに…。そのうちバイクのタンク内のガソリンが腐る…。
結局今日は静養する羽目になった。
10月9日(土) 本来の仕事
今日は工場の方がほとんど休みだったので、「本来の仕事」をする事ができた。
仕事場には2台入っていた。1台目は、いつもこの整備に当たっている人がやっていた。よく一人でこんな大きいものを分解できたものだ。天井クレーン無しでどうやって…ってくらいの代物である。(多分フォークリフトを使ったのだろう)
2台目は、結構簡単な部品交換だったので、私がすることになった。こういうときにたいした腕がなくても、十分に役にたつことができる。そして、本来の仕事をしているときはなかなか楽しい。
帰る間際に言われた。「よしゆき。おまえ、明日あさって何かあるのか?」
私は「明日とあさっては休みなので体をゆっくり休めたいと…」
「デートじゃないのか?(笑)」
「相手がいればいいんですけれどね…(苦笑)」
「なんだ、いないのか。おまえどんなタイプが好みだ?」
「(私に対して思いやりがあって、清楚で…)」と言おうと思ったがやめた。私にはそんな選り好みをする資格があるとは思えない。だからこう答えた。
「特にこだわりません。俺には選ぶ資格がありませんから(笑)」
「そういえば(中略)でも、(中略)できればいいって言っている奴がいたなぁ…」
(ちょっとやばすぎて書けません(汗))
「いくら何でもそれは…(滝汗)」
という話を私の父親と同じような年齢やそれ以上の人としていたのだった…。
10月8日(金) 事実誤認
今日も例によって製造部での応援だった。その際私の母親と同じくらいの年の人のパートの人に言われた。
パートの人「今の大卒の人たちって、いろんなところに行って、いろんな仕事をするんでしょ。何でもできるように」
私「いえ、私は…。今の私はタダの便利屋ですよ。「便利」ですらないかもしれないけれど…。単に生産を急ぐためにかり出されてきただけですよ…(苦笑)」
パートの人「何でもできるってのはいいことじゃないの。私はこれしかできないし」
私「本来の仕事は、あそこ(と言って、仕事場の方を指さす)で整備することなんですよ。整備をちゃんと覚えることが大切なのに…。それに今は私と同じ課の人で整備に当たれる人は1人しかいないんですよ。整備するべきものもたまっているって言うのに…」
この人は事実を誤認している。そう思った…。でも、私はある意味もっと前に事実を誤認していた。そう、1年半前に…。
10月7日(木) 医者に行って…。
今日、気分が悪くて医者に行った。医者によると、ひどく肩がこっていて、それで気分が悪くなるそうだ。
肩に注射を2本打たれた上に、針治療までされた。これは、ピップエレキバンのようなものに、磁石のかわりに長さ1mmくらいの針が付いているものである。
針をさすところにマーキングしている最中ですら痛かった。針をさされたかと思ったくらいだった。
結局首筋の11カ所にそれを貼られてしまった。何個かが服を着た状態でも見えてしまう。看護婦に「結構みば(見栄え)が悪いけど…」って言われたので、私は「こうなったのは会社がこき使ったからだ。と言ってやりますよ(笑)」これは嘘ではない。しかし、それを本当に言う気もなかった。よけいなトラブルはゴメンだ。
この針は2週間ほど持つらしい。しかし、首を動かしたりすると、場所によっては取れてしまうものもあった。
しばらくはほとんど首を動かせなかった。おかげで、車庫入れの際に車をちょっとこすった。(前後左右ともにほとんど余裕のない所に入れているのです)
10月4日(月) 疲れが抜けない…。
最近特に、仕事の後で疲れてしまって、すぐに眠ってしまう。昨日もせっかくの休みなのにほとんど何もできなかった。
10月3日(日) 初めてのオフ会から1年
去年の10月3日に「えみりのおへや」のえみりさんたちと初めてのオフ会を埼玉でやった。
あのオフ会は、私にとって冒険だった。今までインターネット上でしかコミュニケーションを取ったことない人同士が直接会ってうまくいくのか?正直言って不安だった。
でも結果的にはうまくいった。やっぱりコミュニケーションの手段はどうあれ、相手がまともな人ならうまく行くものだと思ったものだった。(うまくいかないのなら、例えよく隣にいるような人でもダメだからね)
こうしたオフ会をする機会が増えるにつれ、この初めてのオフの成功は重要な意味を持つと思う。
実際その約4ヶ月後に別のオフ会に行っているし。
10月1日(金) 入社6ヶ月目
今日で、ちょうど入社6ヶ月になった。今考えれば、よくここまで持ったなってのが正直な所である。
現在も本来の仕事ができない。まだ製造部の応援に行っている。一体いつまで続くのだろうか…。