日記(1999年6月分)

1999年3月の日記へ 1999年4月の日記へ
1999年5月の日記へ
前のページに戻る

1999年

 6月30日(水) やはりむち打ち症だった…。

 やはり首が痛くなってきた。病院に行ったらやはりむち打ち症と診断された。
とりあえず1週間は会社を休むように医者から言われた。
これでこの事故は物損事故から人身事故に切り替わった。
過失責任は100:0なので、相手にとってはかなりきつい状況だろう。
「刑事責任」(業務上過失傷害罪などで懲役・禁固・罰金)「行政責任」(事故点数の付加、免停処分など)「民事責任」(損害賠償責任)の3つを背負うのだから…。

ただしこちらはそれ以上にきつい。こちらには何も責任がないのに痛い目に遭っているのだから…。

 注:この後の話は書けるようになるまで伏せておきます。


 6月29日(火) 追突事故

 今日、会社帰りに駐車場に入れようと左折しようとして前の車にあわせて停止した際に急に後ろから追突された。
急なショックで一瞬意識が飛びそうになったが、とっさにブレーキを踏み前の車に追突する事はまぬがれた。
ギアをニュートラルに入れ、サイドブレーキをひいた直後、全身の力が抜けた。バックミラーを見ると前がへこんでいるワゴン車がおり、私の車のトランクがつぶれていることが分かった。(やっぱり追突されたんだ…)
 意識がもうろうとしているときにパネル内の左ウインカーランプの点滅をただただ見つめていた…。
 もし、ギアをDのままにしていたらきっとクリープ現象でゆっくり前に進み続けるんだろう。さっきのブレーキといい、短時間とはいえよくこんなに冷静な対応ができたものだ…。

 注:この後の話は書けるようになるまで伏せておきます。


 6月27日(日) 上司から借りた本

 今週の木曜日と金曜日に私の部署の上司から経営などに関する本を借りた。
これは以前から「それらの本を6月中に読んでおくように。会社が進んでいる、または進むべき方向が書かれているから」と新人担当の人に言われたからだった。
この本はまた、上司(管理職)の人たちが「上」から読むように指示された本でもあった。
読むべき本は10冊ほどあったが、上司から借りられたのは約半分だった。
なぜなら、これらの本は会社から配布されたものではなく、管理職に買わせたものだったからである。
要は、上司が指定された本を全部買わなかったということ。でも、こういう本は管理職に買わせるよりも会社で部署ごとに配布して「読んでおくように」と言うのが筋だと思う。新人教育が大切なのと同様に、管理職の教育もまた大切だと思う。
 さて、これらの本を読んでみたが、結構難解だがだいたいは分かったと思う。
 それをふまえて、この本に書かれた方向に会社は進んでいるのか?進もうとしているのか?
私が思うには…。いや、これはここでは書くべきことではないだろう(ぉぃ
 


 6月26日(土) 久しぶりのバイク

 今日、晴れたのでバイクで走ることにした。梅雨のこの時期に休日に晴れるのは珍しい。
この前の違反の件があるので、原付はごく近くに行くときだけに限定している(原付で捕まるとまずい)
というわけで、今日はCBR250Rに乗ることにした。
 休日は心の洗濯のためにあるべきだと思う。決して会社で働くための「充電時間」だけににしてはならない。
単に充電するのなら家で寝ていればいい。心の洗濯は家の中だけではできないと思う。
 バイク好きな人間にとって、バイクで走ることそのものが心の洗濯になる。目的地がどこかは大した問題ではない。全身で感じる風が気持ちいい。ただそれでいい。
 目的地を決めずに走っていたら、某神社の近くに来てしまったので、ついでに(笑)寄ることにした。
 神社でお参りして、自分の将来の安泰と幸せを願った。自分が幸せでなければ他人も幸せにできないと思う。
交通安全のお守りでも買おうかと思ったが、財布を見たらその金すらなかった…。
しょうがないのでお守りは給料が出てからでも遅くはないと思い、神社から立ち去った。

 家に帰ってバイクから降りたとき、走って疲れたものの気力が充実していることを感じることができた。


 6月25日(金) 心の支えになってくれた一言

 4月の初め(つまり社会人になったばかり)のときに例のチャットで仕事の話をしていた。私の場合は自社で売った機械のメンテナンスの仕事だが、今は工場勤務で疲れてしょうがない。などと言っていたところ、ある女性の方がこう言ってくれた。
 「形に残る仕事はすばらしいですね
 と。
 正直な話、かなり仕事がきつかった。くじけそうになった。不条理なこともたくさんあった。そのときはこの言葉を思い出してなんとか乗り切った。
 ただ、とある理由があってどうしても、そのこととそのお礼を言うことができなかった。
 今日いいきっかけがあったのでICQを通じてお礼を言った。ずっと心の中でひっかかっていたものがようやくとれた。
 それにしても、下心も打算もない純粋な言葉がこれほどまでに強い力を持つとは思わなかった。
やっぱり自分に対して思いやりを持ってくれる女性にはかなわないや…。


 6月24日(木) 帰宅不能!?

 退社直前に新入社員が新人担当の人に呼ばれた。内容は、7月になると試用期間が終わり、正式な社員になるということ。それと、研修期間中の感想を求められた。
 はっきり言って、言いたいことは山ほどある。(むろん他の人も)あと、おもしろかったのは「給料についてどう思う?」と他の人が聞かれたとき、その人が「研修期間なのにこんなにもらっていいのかなぁと思いました」と言ったこと。
 「今は君たちに会社は投資をしている。君たちはまだ利益を生んでいない。数年後には給料以上の働きをしてもらう」とのことだった。
 私は彼が言ったことがタテマエに過ぎないことを知っているが、私はそれが本心である(しかし数年後が以前の日記に書いた理由により不安(ある意味「不満」よりも悪いかもしれない)…が、こうも思う。
 投資ってヤツは中途半端にするとダメなんだよ…と。それと、
私だって少しは会社の利益に寄与しているんだよ。そういうことは手や顔が汚れた私の姿を見てから言って欲しかった。


 ちょっとイヤな気分で家に帰って「夕食食べてとっとと寝るか」と思っていた矢先に父親からアマチュア無線が入ってきた。
 内容は、「ギアが4速にしか入らず、坂の途中で(信号などで)止まったら発進できない。修理屋に電話してくれ」とのことだった。
 こういうときはなぜか眠気が吹っ飛ぶ。母親が修理屋に電話したが、もう閉まっていた。修理屋の自宅に電話したら1回だけ通じて、あとは繋がらなくなった。
 父親に無線を入れた。自力でせめて修理屋の自宅に行けないのかと。どうしてもダメらしかった。しかも4WD切り替えやバックまでダメになっているらしい。
 こうなったら、直接修理屋の自宅に行くしかない。しかし私はそこを知らないので、母親と一緒に行くことにした。万が一修理屋に何らかの理由で何とかしてもらえないときに備えてけん引ワイヤーも持っていった。
 クルマで走っている最中に遠くでハザードを出している父親の車を見つけた。(実はこの車、この前捕まったときに乗っていた車である)
 それを素通りし、自宅に行った。やっぱり修理屋はいた。故障車が自走して来るのを待っていたらしい。一回目の電話ではそこまで自走不能なくらい壊れているとは思わなかったらしい。
 修理屋をその現場に案内し、彼は故障車を隣の市のにある修理工場に回送していった(修理工場までは下り坂しかないから4速だけでもさほど問題ない)修理屋が乗っていた車は、そのまま代車になった。
 こうしてようやく帰ってこれたのだった。
 代車の軽自動車は明日私が乗ることになった。

 6月23日(水) もう届いたの(^^;

 昨日頼んだ例の資格関係の本が、家に帰ってすぐに届いていた。辞書みたいに厚い本が2冊入っていた。
一冊は、「受験の手引き」。もう一冊は「問題集」である。読んでみたが、なかなか興味深い内容だった。
 たとえ待遇が変わらなくても(ステータスにはなるが…)挑戦する価値はありそうだ。

 6月22日(火) 資格を取ろう

 修理した機械を置いてきたあとのトラックの中にて…。
 「技能検定受けないか?」
 「え?技能検定ってなんですか?」
 「土木作業機械だとか油圧機械だとかいろいろあるんだわ。そのなかでうちの会社で使えそうなのをとればいいんだわ」
 「確かにいろいろ覚えられそうですね。でもこれ取れば会社での待遇は変わるんですか?」
 「いや、変わらない(笑)」
 「(やっぱり(笑))でも、おもしろそうですね。」
 というわけで、会社に戻ってきてから、この試験の教材をFAXで頼んだのだった。

 6月21日(月) 3000Hit達成!

 今日の午前2時頃にページを見たら、このページのカウンタが3000を越えていた。
これは大学時代のページのアクセスに比べると2倍以上の速さである。
 「教習記」のネタが切れてこの日記を始めたのであるが、そのあとに急にアクセスが増えたような気がする。
 とあるページで「男の日記」と「自己紹介」だけのページはアクセス件数が伸びないと書かれているのを見たことがあるが、私のページではそうでもないのはなぜだろうか?
 教習記は初めのころは本当にただ教習のプロセスを書いた「日記」だった。これに他の人にも役に立つようにいろいろ手を加えた(そのためにやたらと長くなった)。それが好評だったようだ。
 この日記もできるだけ情報発信的な要素を含めるようにした。というよりも、この日記の場合は「ある種の危なっかしさ(笑)」がうけたのかもしれない。

 6月17日(木) ある一冊の冊子を見て…。

 近く、会社の労働組合のイベントがあるらしい。私はまだ入社後3ヶ月経っていない(正社員ではない)ので労組には入っておらず、イベントには直接関係ない。
 しかし、この関係の冊子が隣の人の机にあったので見せてもらった。
 給料・ボーナスの妥結額、全社員の平均給与、各種手当て…などが書いてあった。
……正直言って愕然とした。今は別にいい。半人前だから。だけど今後を考えると正直いって怖くなる。(「不安になる」どころではない)
景気が回復すればどうにかなるという問題でもなさそうである。
 (この件については、ちょっと詳しく書けないのですが…)

 6月14日(月) 約6年で積み重ねたもの

 結局昨日のスピード違反で5年と10ヶ月の無事故無違反(無検挙)の記録が消えてしまった。
あと3ヶ月間の間にまた何かやると点数が累積される上に、その日から1年間は点数が消えない。
 正直言って初めて捕まったので相当焦った。交通の流れを無視して制限速度を守って走るようになってしまう。
 その結果、危ない目に遭うことになる。こういうことは原付免許を取ったばかりのときにもあった。
 その後で交通の流れに乗ることが実は一番安全だということを覚えた。
 それすらも失おうとしていたことに気がついた。
 それを思い出したらまた普通に走れるようになった。

 6月13日(日) 「速度違反です」

 今日、親の軽ワゴンを借りて、いつものように運転していた。
とある土手(しかも通勤路)を走っていたときに警察官が赤い棒をもって現れて、私を土手の下に誘導した。
「速度違反です」と言って。
 「あちゃ〜、やっちまったぁ」と思いつつ、素直に土手の下に降りて、サイドブレーキを引き、ギヤを入れてエンジンを切りキーを抜いて車を降りた。(ここまで丁寧にやったのは、逃亡の意志がないことを警察官に示すためである。とにかく、すぐさま車を動かせない状況を作ればそれでいい。)
 そして、「免許証を見せてください」と言われる前に、免許証をケースから取り出した。どうせ免許証を渡さなければならないのだから、下手にごねても無駄である。(なお、違反した場合は免許証の提示を「命令」される。そうでない検問などの場合は免許証の提示を「求め」られる。前者で提示を拒否すれば「公務執行妨害」が付く可能性があるし、後者の場合でも「免許不保持」を疑われる。いずれの場合も素直に提示に応じるのが賢いと思う)
 こっちが従順な態度を示していれば、意外なほど警察の態度は柔軟である。もしこちらが強硬な態度をとるのなら、向こうは国家権力を振りかざす(振りかざさざるを得なくなる)だろう。警察からみて訳の分からない奴に対抗するには国家権力を振りかざすしかないだろう。
 で、警察のワゴンの方に案内された。当然ながらそれに従ってワゴンの後部座席に入った。ワゴンの外には先客がいて、「俺が違反したのは確かだが、こんな制限速度自体が間違っている。ただの緩いカーブじゃないか!」などどいい大人(30代)が怒鳴っていたが、悪あがきもいいところだ。
 さて、私の方は免許証の内容を紙に写され、本籍、現住所、職業などを聞かれた。職業に関しては社員証がなかったので(というか、社員証自体が存在しない(笑))ので、ちょっと焦ったが問題はなかった。実は職業を聞かれて「会社員です」といったのは今回が初めてだった。
 違反切符を作成したのは、若い巡査だった。もしかすると私よりも若いかもしれない。上昇志向が強いくせに「万年巡査」な年輩警官にあたったら面倒なことになっただろう。この手のコンプレックスを持っている奴は弱者に嫌がらせするのが常であるから…。
 その若い巡査にとって私のような相手は多分楽であっただろう。
 私はその巡査が作成しているキップをみてみた。幸いなことに「青」だった。速度の欄をみると、「制限速度40km/hのところ64km/h、超過24km/h」とあった。あと1km/hオーバーしていれば違反点数3点だったが、ぎりぎりで違反点数2点ですんだ。もしあのときアクセルをもう一踏みすれば赤キップ確実だった(30km/h以上オーバー)だったので冷や汗ものだった。
 「過去1年以内に違反していませんか?」
 「はい、キップ切られたのは今回が初めてです」
 「通常、違反歴は1年残りますが…」
 ここでちょっと割って入った。
 「無事故無違反を2年以上続け、なおかつ違反から3ヶ月間他の違反がなければその点数は抹消されるんですね?」
と、自動車学校の教本とほとんどそのままに言った。 
 さすがに向こうも驚いたらしく「良くご存じですね」と言った。
 「何度も自動車学校に行きましたから(笑)」と返しておいた。
本当は、不当な取り締まりに対抗するべく勉強したことだったのだが…。今回のは間違いなく違反したのだし、その違反速度も妥当なものだった。
 違反通告に全く異議はないのでサインをした。この瞬間無事故無違反(無検挙)5年と10ヶ月が水の泡になった。
(なお、異議がある場合はどんなにごねてもサインをしてはならない
そして青キップと、反則金振り込み書を渡された。反則金は1万5千円だった。
 どこにレーダーが設置してあったとか、前日に管轄内で死亡事故があると必ず取り締まりをやることとかを教えてもらった。
 これで私は放免だったが、件のごねてるオヤジは3人の警察官に囲まれて、お説教を食らっていた(笑)
「どうせひっくり返せない違反したのならさっさと認めればいいものを…。戦うべきでない時に戦おうとするアホなオヤジめ」と心の中で笑いながらそこを通り過ぎたのだった。
 戦うべき時。それは明らかに取り締まりのやり方が不当だったときである。この辺の対処法はこの手の解説本が多く出ているから、それを熟読しておけば分かるだろう。
 さて、車に乗ったときにすぐにエンジンをかけずに心を落ち着けて、シートベルトを着けて(意識しないとこのような状況の時は忘れやすい)しっかりウインカーを出してその場を去った。
 せっかくの晴れた日だったが、もうどこにも行く気になれなかった。

 そしてスキャナを買う予定でためていた1万5千円は反則金として消えていったのだった。
私にしてみればこれは「今まででもっともひどい無駄使い」だった。しかし、この経験を今後に生かし、また伝えることで人の役に立つのであれば決して「ひどい無駄使い」ではあるまい。

 自分の失敗を何かに活かそうとする姿勢がもてるようになり、そのことを知ったことは大きな収穫だったのかもしれない。


 6月12日(土) なぜか直ったFDD

 この前から異音がするFDDだが、とりあえず取り外して、外観のチェックをすることにした。
特にこすったり焼けた形跡はなかった。フライホイール(?)を手で回してみても特に引っかかりはなかった。
 とりあえず戻してみると、どういうわけか異音が全くなくなっていた。もしかすると取り外しの際に与えてしまったショックで直ったのかもしれない。ということは、また何かの拍子でおかしくなる可能性があるということだが、とりあえずはこのまま使えるので買いに行かずにすんだ。
 ついでに、以前からプラグ&プレイでも手動でもOSに認識されなくなってしまった56kモデムカード(IFML-560)を取り外すことにした。機械的な部分がほとんどないモデムカードの場合、FDDのように偶然直ることはないだろう。
機械的なのは、回線切り替え用のリレーくらいのものである。


 そして、人間のケガはある程度だったら機械と違って自動修復してくれる。私の右手の切り傷もだいぶふさがってきたようだ。包帯さえ巻いておけばどうってこともない。仕事も普通にできる。(実は昨日も普通にやっていた(笑))
 ただし人間の場合は、ある程度を越えると自動修復できないし、交換もできない。これからが気をつけなければ…。

 6月11日(金) トレードオフ

 お金がいくらでも使えれば、いくらでもパソコンの周辺機器を増設できる。しかし現実にはそうはいかない。
それ故にDOS/Vマシン「絆」には中古パーツが多用されている。ISA接続のカードも多い。
 たいていの場合、ある程度のパーツなら、下手に古いパーツよりもコストパフォーマンスが高かったりする。(ただし、ハイエンドなパーツはのぞく)
 しかし、いくらコストパフォーマンスが高くても、そういったパーツばかり多用するわけにはいかない場合もまた多い。
「絆」を組んだときには予算10万円以下で、インターネットに接続可能という条件で組み立てた。「ある程度のパーツ」で組み立てていれば、組みあがるのがさらに遅れただろう。それまではパソコン全体が使えないのである。
 要求水準とコストの兼ね合いをどこでとるかをトレードオフという。
 このような判断はパソコンに限らず、日常生活のありとあらゆる状況でしなければならない。
 分不相応な要求水準を設定するとむやみにコストが上がるだけになる。
 逆にコストを切りつめすぎると、まともな要求水準を設定できなくなる。
 要求水準とコストのどちらから設定するかは、そのときの状況による。

 どうしてこんなことを書いたのかというと、最近いろいろと思うことがあって…。


 6月10日(木) ケガしてしまった

 会社での作業中に刃物で右手の手のひらをすぱっと切ってしまった。
切ってしまった瞬間、見事に(?)傷が開き、そのあとに血が出てきた。床に血が数滴落ちた。
 ケガして血が出たと言うよりも、こんなくだらないミスでケガをしてしまった方がずっとショックだった…。
切り傷は、実は切れのいい刃物で切ってしまったものの方が実は治りが早い。切れが悪い刃物で切ってしまうと傷口もひどくなりやすい。
 傷の手当も良かったので、あとで傷をチェックしてみてみたら化膿していなかった。長さ15mm、深さ2mm思ったよりも大したことのない傷だった。来週には治るだろう。
 

 6月7日(月) FDDから異音が…。

 ほとんどのアプリはCD-ROMからインストールするか、インターネットからダウンロードするようになった今、FDDはあまり使わない。
 使うのは、せいぜいWinの再インストールか、新しいハードウェアのデバイスドライバをインストールときくらいのものだ。
 このFDDからいきなり異音がするようになってしまった。ガリガリという音なので、モーターか、回転部がどこかにこすっているような音だ。とりあえず読み書きはできるが、結構不快な音である。そんなわけで後日チェックすることにする。
 交換することになったら3〜4千円の出費だな…。


 6月6日(日) 再始動!

 結局昨日のバッテリーは3時間充電して見事に回復(笑)しっかり12V以上出てたりして。
しかしよくあんな過放電から復活したなぁ…。
 あと、問題なのがガソリン。6ヶ月以上乗っていないのでガソリンが劣化し始めている。これはある程度消費させてからスタンドで入れ直すことにする。(本当はタンクを空にして新しいのを入れればいいんだけれど)
 というわけで、走行テスト&ガソリン消費のために久しぶりにNS50Fで走り回った。
 低回転で結構もたつくんだよなぁ…。やっぱりキャブレターの掃除もしないとダメなのかなぁ。


 パソコンのグラフィックボードを換えたので、以前雑誌に入っていたもののスペック不足でまともに動かなかった3Dのゲーム(体験版)をやってみることにした。(こっちも「再始動」である)
 快適とは言えないが、それなりに動いてくれた。入れた甲斐があった。3Dのボードを入れればもっと快適になるだろう。
 快適じゃなくても、それなりにでも楽しめれば私は構わない。たとえ不自由な環境でもなんとかしてそこから楽しみ(効用)を得ようとするのは私の行動パターンそのものらしい(笑)でなければ、DOSマシン(PC9801FX)でインターネットにつなげよう(それも実用目的で)なんて思うまい。


 どうしてもこの時期になると、自分の選んだ道が正しいのかどうか不安になる。どんな社会人も不安・不満を持っているはず。そういうのを知るのに「面接の達人・転職版(自己分析編)」という本を買って読んでみた。
 そのなかの自己分析をやってみたら結構おもしろい結果が出た。
 
 この自己分析でこんなのがあった。
「いま戦争が始まってあなたが兵士になるとしたら、何役の兵士になりますか?その理由は?」
 私は「戦車とかの整備かなぁ…。ろくな工具がない状況でも自分の腕と創意工夫でなんとか直してしまう…とか」と考えた。
 この質問は、「仕事の中であなたがどんな役割をしているか」を聞いている。
だから、まさに「そのまんまじゃん(笑)」って感じだった。
 #中には「最高司令官。人を殺すのがいやなので命令する方がいい」って答えていた27歳の男がいたが(笑)
 こういう人間がどういう人か…分かりますね(爆)

 もう一つ「もしあなたの会社が倒産して、給料が払えないと言われれば代わりに何をもらいますか?」という質問。
 私は「整備技術が欲しい。これがあれば、また何かに生かせる。モノや金はもはやないのだから」
 これは「あなたは会社からモノや金以外に何をもらっているか」という質問だった。
  「なんだ、文句を言いつつもこの仕事って性にあっているじゃないか」って思ったのだった。


 6月5日(土) NS50F起動せず!

 今日久しぶりにNS50Fのエンジンをかけようとしたらかからなかった。しかもバッテリーまで上がっていた。
しょうがないので、CBRでバイク屋に行ってプラグを買ってきた。
 プラグを交換したらキック一発でエンジンがかかった。(笑)
 バッテリーの方は完全にあがっていて、テスターで電圧を調べてみたら12Vバッテリーのはずなのに3Vしか出ていなかった(ぉぃ
 これを書いている段階では充電中だが、果たして回復するのだろうか…。
 そういえばこのバッテリー、今年の秋で4年目になるのだった(爆)

 6月3日(木) で、こんなんになりました

 私がよくチャットに行っている「袴っ娘推進委員会」の伝言板に、「一目見たら引き込まれてしまった」という旨の書き込みがあったので、これに対してレスをした。
  私も初めてこのページに来たとたんに引き込まれました。
    で、こんなんになりました(自爆)
 と。
 私が引き込まれたのは、馬車道っ娘の「薄(すすき)ちゃん」を見たときだった。
このページにはずいぶんお世話になっている。それに来て以来、ずいぶん私自身が変わった。
 埼玉まで行って、馬車道でオフ会したり(それも実質私が企画してしまった。でも実際にできたのは先方の配慮が大きかったと思う)理想の女の子のことを語ったり、インターネットの良い面を経験できたりした。
 「情報化社会」なんてことがよく言われる。それ以前と大きく変わったものはいろいろあるが、その中で「人同士のコミュニケーションのあり方」が変わりつつあるのだろうと思う。
 何も直接会った回数や、話をした回数だけが信頼の尺度とは限らない。文字(それもフォント)だけのやりとりで信頼関係を築くこともできるのだ。こうして作り上げられた信頼関係は直接会っても壊れないだろう。
 チャットのメンバーでオフ会やった際に、直接会った直後には違和感を感じていたが、それから1時間も経たないうちに昔からの友人のようにうち解けたのは不思議で貴重な経験だったと思う。そういうことがこれからも起こるだろう。
 「ディスプレイの向こうにいるのは人間」これは考えれば簡単なことだが、これを理解しているからこのような信頼関係を築けるのだ。理解していない人は平気でディスプレイの向こう側の人を誹謗中傷したり、ケンカを売ったりする。直接殴られることがないから常識的な判断ができなくなるのだろう。そういった人は「殴られるかもしれない」という抑止力がなくなったら何でもしてしまうのだろうか…。
 あと、もう一つ情報化社会にとって重要なことは「ディスプレイの向こう側の人」の発言の真偽をいかに見極めるかという能力である。そうでなければ「ネット詐欺」に引っかかるのがオチだ(こんなのは「ハイテク犯罪」でも何でもない(笑)これは人同士のコミュニケーションの問題でしかないのだから)


 「大学卒業・入社祝い」のグラフィックボードがとある人から送られてきた。(本当は4月にくるはずだったのだが、事情があって6月になった)カノープスのPWR128(RIVA128チップ搭載4MBグラフィックボード)である。
 これによって、解像度1024×768でTrue Color(約1677万色)の表示が可能になった。15インチディスプレイを使っている限りこれ以上のVRAMは必要ないだろう。3Dを表示したいとなるとまた別だが…。
 今まで使っていたS3 Trio64V2(2MB)はスペアパーツにすることにした。思えば「とりあえず動けばいい」というレベルで選択したこのボード。早くグレードアップしたいと思いつつも6ヶ月お世話になったんだなぁ…。
 これでPCI/ISAポートにささっているボード/カード全てが中古品になってしまった(笑)


 6月2日(水) あっという間に消えた出張手当…。

 この前の出張の手当てが早くも出た(額は…)
 私の所属部署の人の一人が病気で入院する事になった。その見舞金で出張手当がそっくり消えてしまった。
でもちっとも残念だとは思わなかった。この人と一緒に仕事したことが何度もあるが、ちっとも威張っているところがなかった。(実はこの人、社長の1つか2つ下くらいの役職なのだが、この理由によりしばらくこのことが分からなかったことがある)
 彼が早く病気を治して一日も早く復帰してくれることを心から願っている。

 6月1日(火) いきなりブラックアウト(汗)

 
 今日、車で通勤途中に急に目の前が真っ暗になって(ブラックアウト)路肩で緊急停止するはめになった。
冷静さまで失っていたら本当に危なかった。
 この状態で仕事をするのは危険だと判断したので、今日は欠勤することにした。公衆電話を探して会社に電話を入れ、そのまま医者に行った。
 単に眠いとかなら問題ないが、急に意識が飛びそうになったということになると、いろんな病気の可能性があるのだろう。心電図や、採血、採尿検査をすることになった。
 結果は異常なし。単なる過労だろうと言われた。この前の出張がかなりきつかったのだろうか?
疲労がたまらないようになるためにはまだ時間が必要なようだ。

 この件に関して、伝言板に書き込みしてくれた皆さんありがとうございました。



 メールのチェックをしてみた。すると、「教習記」の感想メールが来ていた。
ここのページを見て勇気づけられた」とのことだった。
 私のページは決してきれいではないし、文章もうまくないと思う。それにバイク関係の情報は他のページの方がよっぽど充実している。さらに教習日記なら他の人の書いたものの方がよほど参考になるだろう。
 それでも、感想メールには必ずと言ってもいいほど「勇気づけられた」と書かれる。
私は、体格、運動神経ともに不利である。だから似たような境遇の人にとっては役に立つ情報になるのだろう。
それ以上に「こんなヤツにも取れた」という「事実」を伝えることに教習記の存在意義があると私は思う。
だから作成してから2年以上経ち、免許関連の法令が改正されても教習記は意味を持つ。
 この教習記を見て、免許を取ってからこのページのことを忘れてもらっても構わない。踏み台にして用済みになったら「さよなら」でも構わない。
 ある時間に誰かしらにとって意味のある存在でありつづければそれでいい。
 バイクが存在する限り、そして何かしらのハンデを持ちながらバイクに惹かれる人がいる限り、この教習記は意味を持ち続けると信じている。
 いつだったか、私のページを勝手にインプレして「身長の低さにコンプレックスをもっている」とか「教習所に対する不満がタラタラ」とかと言っていたページがあったが、彼には「教習記」の根底に流れるものを見えなかったのだろう。
 身長や運動神経のことを(隠そうと思えばいくらでも隠せるのに)隠さなかったのはちゃんとした意味があるのだ。