日記(2000年1月分)
1999年3月の日記へ 1999年4月の日記へ
1999年5月の日記へ 1999年6月の日記へ
1999年7月の日記へ 1999年8月の日記へ
1999年9月の日記へ 1999年10月の日記へ
1999年11月の日記へ 1999年12月の日記へ
2000年
1月31日(月) グレードアップしてしまったサウンドカード(^^;
会社から帰ってきたら、向こうの方からサウンドカードが送られてきていた。
早速PCIスロットに入れて電源を投入してみる。無事に認識されたが、SCSIカードの接触が悪くなってしまったので、CD-ROMドライブが認識されなくなってしまった。
全てのスロットの接触を確認して改めて電源を再投入。今度は無事に全ての機器が認識された。
すでにこのカード用のドライバを向こうから教えてもらったメーカーからダウンロードしていたが、ドライバのインストーラを起動してみたら「SoundBlaster64」と表示されたので、どうやらこの「Ensonic」というサウンドカードはSoundBlaster64の互換カードらしい。だとしたら、以前のSB16の上位のカードが手に入ったことになる。
こっちは数日間パソコンが沈黙することになったが、お互いに得する結果になったわけだ。
しかし、そうは問屋がおろさないというか、いつものことというか(苦笑)すんなりドライバがインストールできなかった。
通常の方法でインストーラを起動してインストールしようとしても「カードが見つからない」と表示されて終わってしまう。
一方でWinのプラグアンドプレイ機能でドライバの在処を尋ねられてしまって、HDD上のファイルを指定してもやはり認識されないので、結局「?不明なデバイス」としてシステムのプロパティの「サウンド、ビデオ、およびゲームのコントローラ」に表示されてしまう。こうなったら最後の手段で「不明なデバイス」のドライバの更新を選んで、デバイスドライバのあるフォルダを指定したらようやく認識されるようになり、今度はすんなりとインストールできてしまった。
CD-ROMドライブからサウンドカードへのケーブル、サウンドカードからスピーカへのケーブルが正常に接続されていたので、CD・MIDI・WAV・MP3など全ての音源が正常に作動してくれた。
1月28日(金) 沈黙のパソコン
滅多にかかってこない携帯(苦笑)に留守電が入っていた。ネット仲間の人が「ネットにあがったら連絡欲しい」とのことだった。
早速ネットに繋ぐと即座にICQからメッセージが来た。
「以前売ったサウンドカードと、いまこっちにあるサウンドカードを交換して欲しい」とのこと。
なんでも向こうのパソコンが故障してしまって、修理に出す際にこのカードを戻して出荷時の状態に戻せば無償修理の対象になるらしい。
そういうことならと、すぐにOKして向こうにあるサウンドカード用のドライバをダウンロードしてきた。
早朝にちょっとWinAmpで最後の音楽を聴き、電源を切ってサウンドカードを抜いた。
これでISAスロットが全て空いてしまった…。音もないしちょっと寂しいかなぁ…。
でも、こういうのもたまには良いかもしれない。そういえばPC9801でやっていた「大戦略III'90」はオープニングとエンディング以外にはBGMがなかった…。それでゲームやっている最中にラジオを聞いていたらそれが習慣になって、よくラジオを聴くようになったのだった(^^;
サウンドカードとドライバの入ったFDを梱包し、コンビニから宅急便で出した。昼頃なのに明日の午前中に着くとは…。宅急便恐るべし(笑)
1月21日(金) 暖かい贈り物
数日前に、またももっちさんの「紅茶水楼館」のメモリアルカウント(5555)を踏んだ。
このことを報告したところ、以前と同じように茶葉を頂けるという。その茶葉が今日届いた。
今回のは中国茶も含まれていた。しかし、今日はなんだか気分がすぐれなくて飲む気がしなかったので茶葉の香りだけを楽しむことにした。
こういう「香りを楽しむ」なんて余裕を持つことは重要だと思う。それに、こういう贈り物は心までも暖めてくれる。
1月20日(木) ICQ for JAVA
Linuxでネットにもつなげたし、チャットもできた。日本語変換の効率があまりよくないという問題があるが、「落ちない」というのはかなり大きい。
しかし、ICQが使えないのは今となってはなかなか不便なものである。
というわけでLinux上で動くICQを探してきた。
ICQ for JAVAはMirabilis社のJAVA版ICQのページで入手する事ができる。
それと、Linux上でJAVAが使える環境がないと動作しないので、これらのファイルも上記の場所からダウンロードした。
*.tar.gz方式のJDK(Java Development Kit)をLinux上で展開し、設定ファイルのパスを変更し、ようやくJAVAが動くようになった。
しかし、ここまででもかなりHDD容量を圧迫してしまう。(単にLinuxに割り当てたHDDが少ないからだけど)
次にICQ for JAVAを自分のホームディレクトリ上で展開し、これも設定ファイルのパスを変更し、./installを実行しインストール。
試行錯誤の末にようやくICQを立ち上げることができた。
自分のUINとパスワードを入れてMirabilisのサーバにアクセスして、ICQが動く所まで行った。
あとはコンタクトリストに登録し直すだけで完了である。しかしながら、この段階で本当にHDDの容量がなくなったので、とりあえずこれ以上はあきらめることにした。さもないと、この前のCannaの時のような問題が発生するかも知れない。
JAVAだけはそのままに、ICQだけ削除する事にした。今度HDDを増設したときにまたLinuxを入れ直せばいい。きちんとインストールできることだけでも分かっただけでも大きな収穫である。
今度のLinux関連の目標は
-
X Windowのカスタマイズ(壁紙に「ほわほわ」のCG使えたらいいなぁ(*^^*))
-
Cannaのカスタマイズ
といったところだろうか。
私の場合、FAQにもないようなトラブルが多いが、今後もこうしたトラブルは多く発生することだろう。
しかし、遠回りしたて苦労した分だけ得たものも大きい。
「Linuxはユーザと共に成長するOSだ」という言葉を聞いたことがある。本当にそうなのかも知れない。
1月19日(水) 友人の近況
久しぶりに大学からの友人と電話で話した。主に会社関連の話をしたが、彼の話を聞いて思ったことは
「どうしてその人の適性を生かした仕事をさせられないのだろうか?」ということだった。
彼は、実用レベルのプログラムを組むことができる。もし私の会社に彼がいたらすぐに2000年問題なんかは解決できるだろう。しかし、彼の会社は彼をそのようなことには使わずに…ということだ。なんともったいないことか。
人は、自分の能力を最大限に発揮できること自体に喜びを感じることができるものだと思う(無理させて能力を引き出そうとしてもそのような喜びは感じない)そういうのが仕事のやる気に繋がるのでないだろうか?
また、部下をそのようにすることが上に立つ者の役目であろう。そうした上司の下で働くと非常に仕事がやりやすいものだ。
1月18日(火) せめて視界だけでも…。
良くしたいものである(苦笑)
眼鏡ができたので、眼鏡屋に取りに行った。新しいレンズは当然ながら傷が全くないので周りがクリアに見えるようになった。ただ、どうしても周りがゆがむのだが、それは慣れるまで待つしかない。また、あまり近くを見る場合(パソコンの画面を見る場合など)は度の弱い、以前の眼鏡を使っていた方がいいとのこと。(今のだと近くが見づらく、軽い遠視のようになる)
1月16日(日) 引き替えに得たモノ
最近やたら疲れる。特に目が…。むしろパソコンしていないときの方が疲れるようだ。
眼鏡の度が合わなくなると、疲れやすくなるという。そろそろレンズの換え時なのだろう。
眼鏡屋で視力などを調べてもらう。
「これは?」
「右」
ってなことしなくても、裸眼視力やら必要とする度数などが分かってしまう機械があってそれで2分とかからずに検査が終わってしまった。
3年もたつとそういった技術もずいぶん進歩するのだろう。そして眼鏡屋の設備も…。
いつまでたっても進歩しないのは…まぁいい。
多分パソコンやりすぎたせいで成長期を過ぎた今も視力が低下したのだろう。
(成長期は度が進みやすい)と思ったのだが、必ずしもそうではないらしい。
いずれにせよ、パソコンの影響は無視できないだろう。
しかしながら、1998年の冬頃から家からインターネットに接続できるようにしたおかげで得たものの方が大きいと思う。
どうせ何かを失って何かを得るのなら、有意義なモノを得たい。そして、金で換算できないようなモノの価値をを認め続けられるような感性を持ち続けたいと思う。
1月15日(土) これからどうなるんだろう…。
一度コンピュータ化された業務は、かつてしていたような手作業に戻れるのだろうか?
会社にあったパソコン関係の本によると、戻れないと言う。その理由は、パソコンになれるにつれ、今までの手作業の無駄を実感するからだという。けっして、社員に怠け癖がついたからとかそんなくだらない理由ではないのだ。
しかし、私たちはまた仕事の多くを手作業に頼らざるを得なくなってしまった。
この本は5年ほど前に会社で買った本だろう。たぶん「上」が買って読め!と言って…。
皮肉な話である。
っていうか、「アホな話」といった方がいいのかも知れない(苦笑)
1月13日(木) ついにLinuxで初チャット
日本語変換システムが動かない理由を探すべく、Linuxを起動。しかし、「ディスクがいっぱいです。
テンポラリファイルを削除してください。」と言ったようなメッセージが出て、まともに動かない。
dfコマンドでディスク容量を調べてみると、たしかに満杯になっている。
これは、何かの不具合で途中でプロセスをkillすることが何度もあったので、その結果自動的に削除されることのないテンポラリファイル(作業用中間ファイル)が多く作成されたのだろう。
あとエラーログも肥大したのかもしれない。
こうなった以上、必要最小限の構成で再インストールする事にする。
その結果、日本語変換システム「かんな」が無事に動くようになった。
「かんな」の設定ファイルなども自動的に設定されていた。
どうやら根本的な問題は、ディスクの容量不足だったらしい(苦笑)
自分の伝言板に書き込みするなどのテストをしてから、いざチャットへ!(笑)
「かんな」に慣れないせいか、なかなか打ちづらいが、それでも他の参加者に遅れない程度のスピードでチャットする事ができた。
ここで気がついたのが、Netscapeを2枚立ち上げたりしているのにも関わらず、
CPUの負荷率が高くて20%程度、入力がないと2%程度まで下がる。
いわゆる「アイドリング状態」のときは、CPUの負荷が非常に少なくなるようだ。
Winなんて常にかなり高いのに…。
考えてみれば「マルチユーザ・マルチタスク」のUNIX系OSなのだから、当たり前のことかも知れない。仕事がないのに忙しくしていたらそれこそ「無駄」だし、そんな状態で複数ユーザがログインしてきたらまともに動かなくなるだろうから…。
1月12日(水) まだ動かぬ日本語変換システム
一度はちゃんと日本語変換できたのだから、またできるまで再インストール…というのは大変すぎる。そこで、Cannaをネットで検索してDLしてきて、それを展開してインストールすることにした。
「Canna
Home Page」からDLしてきて、Linuxを立ち上げて、Winのディスク領域をマウントしてLinuxのディスク領域にコピー。そのあとtarコマンドで展開。
makeコマンドでエラーが大量に出た。ドキュメント通りにしたはずなのに…。
色々試してみたが、結局無意味にファイルが増えただけだった。
一体どうすればいいのだろうか…。これなら日本語変換システムが正常にインストールできるまでLinuxの再インストールを繰り返した方がまだよかったのだろうか…。
まぁ、Cannaのドキュメントを印刷して、よく読んでじっくりやってみることにする。
1月10日(月) 一難去ってまた一難…
LinuxのX Window Systemが動かない問題は、再インストールの際に自動的に設定してくれるような項目を選んだりしたら、無事にXが動くようになった。
今度は、X上のCDプレーヤーの音が出ないので、これも調べたところ、sndconfigというコマンドを使えばいいことが分かったので、Sound
Blaster16を自動検出させてこれも解決。
ppxpでモデムにダイヤルさせてネットに繋ぐことに成功した。ついでにテストを兼ねて自分の伝言板に書き込んだ。ここまではうまくいった。
しかし、一回shutdownした際におかしくしたのか、さっきまで動いていたCannaサーバ(日本語変換システム)が動かなくなってしまった。(全角文字は出るが、漢字変換できない)あるはずのconfigファイルがないし、再インストールしても症状は解決しない。
少なくとも、Linuxが動きすらしないというのよりもマシだが、まだプログラム個別のインストールがうまくできない現状ではどうしようもない。
まぁ、また方法を考えてみることにする。
1月8日(土) やっと入ったLinux
今日は休みだったので性懲りもなく、久しぶりにLinuxのインストールに挑戦してみた。前は、原因不明だがKernel
Panicと表示されて対処不能になった。
今回は、またPatition Magicで分割して作業に入る。Slackwareの起動ディスクでLinux用のパーティションを切って、Vine
Linuxをインストールする(理由は、Vine用のディスクでパーティションを切るとWinにも影響が出る。Slackwareをインストールしないのは、どうしてもSlackwareのCDが認識させられないため)
一回ダメだったので、あきらめてPatition Magicで元に戻そうとしたら、これがエラーで起動しなくなり、Linux用に確保した領域が無駄になってしまった。が、Patition
Magicを再インストールしたら正常に作動して、
全てDOS(Win)用の領域にすることができるようになった。
気を取り直してもう一度インストールしてみることにした。
また同じ方法で入れてみたら今度はVineのCDが一発で認識され(以前は必ず一回は失敗した。多分SCSI I/Fのせいだろう)無事にVine
Linuxを立ち上げることができた。
…が、一難去ってまた一難。今度はX Window Systemが起動しない。設定を間違えたのだろうと思うが、
設定の仕方が分からない。設定用ユーティリティを使っても直らない。とりあえずCUIで使ってみるのも悪くはないだろうとひとまずあきらめることにする。
モデムに電話をかけさせることもできたので、あとひとがんばりでネットに接続できるかも知れない。
CUIでもLynxが使えれば昔のようにwwwにもアクセスできるわけだし…。
1月5日(水) 仕事始め
4日まで正月休みだった。こんなに連続で休みが取れる機会は次はお盆休みくらいだろう。
そうでなくても、連休にするのをさけているような節があるような気がするのに…。
さて、久しぶりの仕事だったが、私自身には直接関わりのないことだが、2000年問題が…。
もう書くのもイヤになるような状況だった。
例えば、周りが勉強しているのに、自分だけ勉強せずに試験に臨んで、彼らは受かって自分は落ちた。
当然の結果である。そうなることは予想していながらたいして何もしていなかった。それと同じ事がこのケースでも言える。そして、コンピュータなどの設備に関する責任者が誰かを考えれば、この結果は誰のせいかすぐに分かる。まったくイヤになる。情報系の人間から見れば、馬鹿丸出しである(嘲笑)
1月3日(月) 初詣と厄祓い
考えてみれば、昭和51年生まれの男は本厄である。
となると、初詣と一緒に厄祓いも一緒にしたほうがいいだろう。自分の努力では回避不可能な災難はたくさんあるから。自分がどんなに努力しても、その努力を一瞬にして無に帰してしまうような災いがあるから。
というわけで車で新潟市白山神社に行った。今日は雨が降っていて、しかも3が日の最後のなので意外と参拝者数は少なかった。
駐車場もすいているとは言えないが、比較的楽に駐車できた。
神社の境内に入って、まずは家から持ってきた去年の注連縄(しめなわ)を焼却してもらう。
天照大御神のお札を社務所のそばの授与所で買う。このあたりの巫女さんはたいていバイト巫女さんみたいなようだ。本職かどうかは、言葉遣いや立ち振る舞いや装束の着付けなどで分かるようになってきた。某チャットのおかげだろうか(爆)
社務所の玄関に入って、巫女さんから傘を入れる袋と、靴を入れる袋を渡される。傘と靴を入れて社務所に入る。
祈祷の受付は20畳くらいの部屋の片隅で行われた。巫女さんに渡された用紙に氏名、住所、生年月日を書いた。しかし、慣れない雰囲気で緊張したのか、目の前の巫女さんに気を取られたのか(笑)…多分後者だろう(激爆)氏名欄のところに、住所を書いていた(^^;
「あ…。間違えてしまった。どうもこういうところに慣れなくてつい…」なんて言っていたら、その巫女さんは微笑んで新しい用紙を渡してくれた。なんかこういうのっていいなぁ…なんてずっと思っているわけにはいかないので、今度は間違えないように用紙を書いて出した。
祈祷料を納め、お札などをいただいた。
「しばらくこの部屋でお待ちください」とのことなので、待つことにした。結構家族連れやカップルが多い。
滅多に厄祓いなんてしないだろうから、今度またこの部屋に来るときは、結婚して子供ができたときか…それとも、その次の厄年(42歳)か…。
いずれにせよ、巫女さん見てどきどきするのはこの部屋ではこれで最後かも知れない。前者ならそれは許されないだろうし、後者なら多分そんな気持ちにはならないような気がする。
前の人たちが終わったので、神主さん(か、男性の神職の方)に呼ばれて、拝殿の方に案内された。
途中で男性神職の方に玉串を渡された。
それを持って拝殿に座り、祈祷を受けた。ちゃんと祝詞(?)のなかで私の住所、名前も呼ばれた。そういえば七五三の時の祈祷の時は、何言っているのか分からなくて、ひたすら暇だった覚えがある。
祈祷が終わった後で、巫女さんによる御神楽が奉奏された。やっぱり本職の方は雰囲気が違うんだなぁなんて思いながら見ていたのだった。
最後に玉串を神前に捧げるとき…。予想はしていたが、足がしびれて思うように歩けなかった(苦笑)
なんか、最後までダメなヤツだなぁと自分の事ながらあきれていた。
拝殿を出るとき、休憩中か暖房にあたっていた巫女さんを見かけた。この時期はかなり忙しいはずなのに、和気あいあいとしている雰囲気がいいなぁと思った。会社では(特に製造応援の際には)絶対見ることのできない光景だった。いつも追い立てられてぎすぎすしている、あの嫌な感じ、効率を求めていながら、そういった余裕のなさ、それ自体が効率の向上を妨げているとしか思えないのは何とも皮肉で悲しいことである。
だから、あのときは純粋に「いいなぁ」って思えたのだった。
おみくじを引いてみたら大吉だった。この時期の神社では大吉が多く入っているという噂も聞くが、周りの反応を観察してみると、凶とか小吉も結構あるみたいだった。
おみくじにはこうあった「(前略)大運勢ですが、信心を忘れ有頂天になって、邪悪(よこしま)な心を持つと、一気に災禍が及び悲歎(ひたん)の淵に沈みます。誠の心を捧げましょう」
こうして書いた日記を読み返すと、よこしまというか、煩悩全開で全壊している表現が多いような気がする(自爆)
……気をつけよう。もう事故は御免だ。
今年はいいことあるといいな…。でもこうした光景を見ることができたことを思えば新年からさいさきいいのかもしれない。
ちなみに恒例(?)となった、縁結びのお守りのアップデート更新もしっかりやっておいた。
私は「縁結び」とはなにも男女の縁だけとは思っていない。ネットでのつながりも立派な縁であると思う。
この縁が長続きするように、またもっと多くの人と知り合えるように願っているのである。
こんな風にネットを通じて友人ができるなんてことは10年前には想像つかなかったのだから…。
あのときに悲しみに暮れていたことがうそのようだ。「生きていればいいことあるさ」というのはまんざら嘘ではなさそうだ。頑張っていれば意外なところから、救いの手がさしのべられる。それも突然に。
それをネットで知ったのだ。まだ先は長い…。
1月2日(日) 自分で解決しなければならない2000年問題
朝起きてから体調が悪い。なんだか体がだるい。どこかの日記で見たインフルエンザの初期症状に似ている。正月休みになる前にどこかでもらってきたのかもしれない。
しょうがないのでしばらく寝ていることにした。
一眠りしたら薬が効いてきたのか、だいぶ楽になったようだ。とりあえず一安心。
伝言板の日付表示がおかしくなっていることに気がついた。2000年が100年として表示されてしまっている。99年の次は+1で100年というふうに解釈しているのだろう。
最新のYY-BOARD v2.74と今まで使っていたYY-BOARDを比較してみたところ、サーバからの日付取得方法に違いがあり、そこで問題が起きていることが分かった。(Pealは分からないけれど、その辺はだいたい想像がつく)
V2.74に変えて書き込みしてみたところ、問題なく2000年と表示された。それ以前に書き込みされた分は100年になっているが、これはログを手動で書き換えればそれでよい。
幸い(?)書き込みが少なかったのですぐに終わった(苦笑)
1月1日(土) 元旦
果たして2000年問題は起きるのか?
12月31日23時からネットに接続していたが、0時になったとたんに停電なんてことになったらたまらない。
しかし、このまま接続してチャットしていることにした。
0時になった瞬間、何も起きなかった。停電したわけでもなし、回線が切断されたわけでもなかった。
ただ、携帯電話が混み合っていたようで「しばらくお待ちください」のメッセージが年明けてから1時間以上続いた。これは、2000年問題ではなく、毎年恒例の「明けましておめでとうメッセージ」によるものらしい。
とにかく、日常生活に関わるような重大な問題は世界中でも発生していない。
とりあえず「第一の危機」が終わった。しかし、2000年問題はこれで終わったわけではない。むしろこれからが問題である。
結局、正月の夜はチャットで明かした。チャットが終わる頃には、2000年問題のことなどすでにみんな忘れていた。
ともあれ、今日は寝正月だった。いつも忙しいのだからこういうときくらいは休んでもいいだろう。
休みだからといって、あれもこれもって忙しく過ごすのはいやだから。