日記(2000年10月分)

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2000年

10月20日(金) 穏やかに余裕を持って…。

 今日はとある機械をトラックで配達していた。
配達前に、配達先の場所を詳しく聞くことにしている。その近くの地図も書いてもらうことも多い。
 私は一般的な地図で、目的の市町村まで行き、あとは書いてもらった地図や目標になる物
を利用してその場所までたどり着く。
 そのためには納得のいくまで説明を聞く。実は非常に分かりにくい場所なのに、
その説明を省略して「近くまで行けば分かるだろう」なんて言うと、やっかいなことになる。
今日はそうなってしまった。

 かなり分かりにくいところなのに、肝心なその場所の情報が皆無だったので、
混雑している市街地を何度も右往左往する事になってしまった。大雨の中トラックで…。
 しかもやっかいなことに、積み荷を降ろしたあと、その場所とは正反対なところで、
他の社員と落ち合って、機械を積み込まなければならない。
さらに、その積み荷を積んだトラックをさらに別な社員に渡さなければならない。
 遅くなると、私を含めてすくなくとも3人がサービス残業するはめになる。

 遅れると迷惑をかけてしまう。だから、だんだんいらいらしてきた。
全ての車の動きが非常に遅く、まるで自分の邪魔をしているようにすら思えてくる。

 いらいら…。
 いらいらいらいらいら…。

 「…今日は…神社の巫女舞の話題をお送りします。」
そんな声がAMラジオから流れてきた。
 いらいら…ん?
 「…赤い袴と白い着物の巫女さん姿の小学校5・6年生の女の子が…祭で「豊栄の舞」を
舞う練習をしています…」
 「…神社の巫女さんになってから7年の巫女さんから教えてもらっています」
 いらいら…もんもんもん…(〃▽〃)
 
 その小学生の声が入ってきたが、それはあまり気にならなかった。

 「巫女さんにお話を伺ってみました」
 もんもんもん……(〃▽〃)

 このとき、私が待たせてしまうであろう人たちのことはひとまず忘れていた(爆)
私は、結構その人の声だけで、相手の顔や表情なんかを想像できる。
相手の顔からその人の声を想像することもできる。実際、この想像はほとんど当たっている。
 だから、巫女さんの声を聞いたとき、私の頭の中には優しくて清楚な巫女さんがいた(笑)
 「神楽のリズムは、今ではなかなかないような穏やかで優雅なテンポですから、
子供達もなかなか苦労するようです。」
 練習風景(?)の声も聞こえてきた。確かに穏やかな雅楽である。「えてんらく」(漢字忘れた)
と言うそうだ。
 巫女さんがその子たちに指導する声が聞こえる。
 「さっき言っただろ、何でできないんだ!」…じゃない。
 その声は終始穏やかだった。

 気がついたら、焦りの気持ちが消えていた。今まで焦ってうまくいった試しはない。
ゆっくり探そう。事故ったら何にもならない。
 そうしたら程なく目的の場所が見えた。
 大雨の中、積み荷を降ろし、身軽になったトラックで次の目的地にひた走る。
 (大雨で体が濡れたままずっと走り続けたので風邪ひいたようだ。)
 遅れるということは、会社を通じてその人に伝わったはずだ。

 1時間かかってその場所に着いた。外は既に真っ暗だった。
 「どこまで配達に行っていたん?」
 私「午前中に……と、○○に、でまた戻ってからさっきの場所に行っていました」
 「○○まで行かせて、ここまで来させたのか?ばっかじゃねーの?あいつら」
 私「方向がたいして変わらないからって事らしいです。一度に行かせた方が能率が
いいだろうって…」
 「ちっともよくない!」
 私もそう思う(爆)
 「せっかくこうならないように、オレたちで配送計画立てたのに」
 (ちゃんと計画立てていたのか…。またよけいな横やりでこんなことになったのか)
 「道に迷ったとしても、あちこちいかせなければ、こんなに遅れなかったんだ」

 遅くなったことで文句言われると思ったのに…一生懸命突っ走った甲斐があったというものだ。

 しかし、結局3人して1時間サービス残業するはめになった…。


10月19日(木) IT化…?

 一週間前に出して、もう片づいたはずの出張報告が返ってきた。
「こんど、ウチはこんな手書きじゃなくて、インターネットで出張報告を提出させるようにする。
だから分かるように書け」
と言って…。
 「落ちている部分があるから書き直せ」と言うことだが、この言葉、論点がずれている。
 手書きかワープロかは表現手段の問題。文章をどう書くかはその人の文章能力や、
どのようにレポートを書かせるかの問題。
 手渡しか郵送かFAXかインターネットかは通信手段の問題。
 だから、注意するのなら「書き方」について注意するべきで、
そのあとで「今度インターネットで…だからパソコン練習しろ」と言うべきだ。

 もっとも、私の場合は「パソコン練習しろ」と言われると腹が立つ。
 数日前の会話でこの人が私の履歴書を読んでいることを知っている。
しかし、「インターネットでコミュニケーションを取ること」と言う項目には気がついていないようだ。
それとも、読んでもその意味が理解できないのか…。
 「インターネットを通じてコミュニケーションを取ること」これができるには、
それなりの入力スピードと、瞬時の判断力が必要になる。
 上辺(うわべ)しか見ることができない人にとっては、どんなに私のそばで仕事を見ていても
理解できないのだろう。
 ちゃんと相手の本質を見ようとしている人同士なら、文章だけでお互いのことを知ることすらできる。
すくなくとも近くにいても上辺だけしか見ることができない人よりはずっとだ。
(本当はじかに会うのが一番なんだろうけれど)

 それに、本当に能率のいいシステム作りに必要な知識を私は知っている。
すくなくとも、こうした人たちよりは有用なシステムを作ることができる。
なにも、出張報告のやりとりに限定する必要はない。
遠くにいる人が必要な情報を誰の手も借りずに引き出すシステムをつくることは難しくない。



 元の上司が「よしゆき君は大学の時そういうのやっていたよな?
インターネットでどういうことができるんだ?」と聞いたときがある。
 私は何ができるかをかいつまんで話した。

 「ウチもやればいいのにな」
 私「ただ、これには条件があって、全体を知っている「上の人」の深い理解と協力が必要です。
それに、一人か二人あたりに一台のパソコンと、それを扱えるようにする教育です」
 「それじゃダメだな…」



 こんな状況だ。新しく情報システムが導入されたとしても、うまく活用するには
まだ高いハードルがあるような気がしてならない。


10月17日(火) 自己採点

 日曜日に受けた情報処理技術者2種試験。この解答がネット上に流れていた。
早速プリントアウトして採点してみる。
 午前問題も午後問題もそれぞれ7割できていれば合格である。
 午前問題は78%ほど正答していた。午前はこれで問題ない。
問題なのが午後なのだが、午後問題は選択問題がある上に、それぞれの問題の配点が不明である。
しょうがないので、どの問題も配点が同じと仮定して採点してみた。結果は正答率59%
この採点通りだと落ちたと言うことになる。しかし、配点方法によって正答率が変わるので、
これだけだと何とも言えない。自己採点で落ちたと思ったのに受かって合格通知が来たとか、
逆に受かったと思ってたら実は落ちていたとかということが結構あるのだ。
 結局は正式な結果待ちということのようだ。

10月15日() 試験当日

 試験の方は午前問題はそれほどやっかいなことは無かったようだ。分からなくてカンで答えた問題は
1〜2問くらいだったと思う。ちゃんと勉強の成果は出ていたのだ。
 やっかいなのが午後問題で、勉強時間が圧倒的に足りない。
しかし、じっくりと問題に取りかかることで、表面だけでない本当に考えるべき事が何かが見えてくる。
実はそれほどやっかいなことをしていないことが分かる。
 「自分はこのように考えた。だから答えはアだ」ということを言えるようになった。
ただ、考え方が間違っていれば答えも間違いということになるが…。
 しかし、さっさと投げ出してカンで解答してしまった昔よりも遙かに進歩していることは確かだ。

 試験が終わってみると、確実に落ちたとは言えない。受かっているかもしれない。
自己採点してみるまで何とも言えないという感じだった。


10月14日() 試験前日

 明日、情報処理技術者2種という試験を受ける。
 今まで、仕事で疲れて帰ってきて、それでもなんとか時間をとって勉強をしてきた。
しかしながら、勉強時間が不足している。
 ただ、勉強をしていくうちに、前回の勉強方法の不備にいろいろ気がつくことができた。
例えば午後のプログラムの問題は、プログラム言語そのものよりも「そのプログラムが何をしているか」
を読みとらなければならない。でなければ個別の命令が分かっていても結局全体の流れが
理解できなくて解答できない。
 逆に分かっていれば、一見面倒のようでも実はやっていることが単純だったりする事が
分かったりする。
 面倒だ。分からないと思って短気を起こして投げ出してはならない、こう言うのは
じっくりと腰を据えて解かないとダメなのだ。そのための2時間半という試験時間だ。
 社会人になって、腰を据えてじっくり考えるということを忘れかけていた。
たいてい、「さっさとやれ」で、じっくり考えてよりよい方法を考える暇も与えられない。
ろくに考えずにさっさとやらされるだけで、結局は進歩がないのだ。
 こういうのはとても耐え難い。それを明確に思い出すことができただけでも、この試験に
挑戦した価値はある。

 試験勉強はいつも眠気との戦いである。たいていはコーヒーを飲んだりちょっと休憩して
また再開したりの繰り返しをしたりする。
 今回は状況によってもっと過激な、心に負担のかかる方法をとった。
それは、今までの悔しいこと、頭に来ること(日記に書いてあること(笑)など)を思い浮かべることだ。
怒りで眠気が簡単に吹っ飛ぶ。ただ、それだけで大汗をかいてしまう。
 このままだといろんな意味で危険なので、次はこの試験に受かっていい方向に向かったときのことを
想像する。想像力を全開にして想像する(爆)<こっちの方がよっぽど危険だという意見もあるかも(笑)
 努力をして結果を出しても、結局全体としていい方向に向かっていないような気がする。
しかし、それでも以前は不可能だと思っていたことが少しずつかなっていったことも確かなのだ。
 だから、願い続ければいつかかなうと信じるべきだ。


10月10日(火) 仕事の中の休息

 他の人と一緒に県外に出張した。
 高速道路使って早めに着いたのだが、お客さんの都合で16時までなにもできないとのこと。
3時間ほどどこかで暇をつぶさなければならなくなった。
 ここには○○高原という有名な所があった。車で山登ってそこに行こうということになった。

 目的地にたどり着くまでの景色もきれいだった。湖にうつる紅葉、遙か遠くの霧のかかった山々、
そして…。
 やっぱりこういうのって文章では表現しにくい。
2人ともカメラを持ってこなかったことを後悔した。
  「使い捨てカメラでもいいから持ってくればよかった」
 私「こういうのってデジタルカメラがあればいいんですけれどね。
 たくさんいるネット仲間にも見せてあげたかったです」

 なんて話しをしていると、高そうなカメラを三脚で立ててシャッターチャンスを狙っている集団が…。
そのそばに車を停めて、もう一人の人はその人達と話していたりした。
 それにしても寒い。
途中の電光掲示板で15℃と出ていた。きっとここは10℃切っているはずだ。 

 私「あの人達、シャッターチャンスがくるまで何時間も何日も待っていそうですね。
 そして、いつかはきれいな風景が撮れる」
  「どうでもいいことまで一分一秒の作業能率を求めるウチの会社とは違う。
 あれは肝心なところが抜けている(笑)」
 私「そうですね。いつも、目先だけの作業能率をもとめて、個人の努力でどうしようもないことで
 いつもその努力が無駄になっています。こんなのばっかりでイヤですよ…」
(この辺は日記で書きまくっているけど(笑))
  「たまにはこうして遊ばないとやってられない。やるべき時はきちんとやるけど、
 仕事も半分遊びも半分だ。そうでないと、やるべき時にくたびれてしまう」
  「勉強でも、「勉強は勉強、遊びは遊び」ってメリハリつけないと勉強も遊びも中途半端に
 なってしまいますからね。」
  「勉強と言えば、来週の試験勉強はどうだ?」
 私「予定よりも遅れてはいますが、それでもだいぶマシになりました。
 これじゃぁ春に落ちるわけです(苦笑)」
 私「肝心なところがだいぶ抜けていました(笑) でも、これは個人の努力でなんとかなる
 ことだからまだ救いがあります。」

  「やっぱ、ここに来てよかった。またこっちのほうに出張があったらまた一緒に来よう」
 私「今度はカメラ持っていきましょう。こんな景色、新潟じゃ滅多に見られるモノじゃないですからね。」
 私「指先なんか気にしないでずっと遠くを見ていられるのは気持ちいいです(笑)」
  「そうだ。指先とか目先の作業能率しか見られないのはくだらんし、つまらん(笑)」

 で、仕事はあっというまだった。面倒だって事なので来てみたら、
実際は私一人でもなんとかなりそうな仕事だった。(客を納得させるとなるとやはり大変かもしれない。
「技術的には簡単」と言う意味)


10月7日(土) 新しい価値観を受け入れられる人、受け入れられない人

 またまた、会社にて。
 営業の人を乗せて車を走らせていたときのこと。
 「こんな事じゃダメだ、いまはITの時代だって言うのに…」
 へぇ…。この人ITに対して肯定的なんだな。
 というわけで、ネットに関するネタを振ってみた。
 「俺、結構ネットやっているんですよ」
 「インターネットって楽しいのか?」
 (この人はこの手の話に乗ってくれるようだ。)
 ネットを通じての友人がたくさんいるということ。

(中略)

 ネット仲間と直接会ったことが何度かある(オフ会)、そのときは初めて会ったのに、
昔からの仲間みたいにすぐにうち解けたこと。

 この人は割と若い(と言っても40代)で、しかもこうした新しい価値観に対し非常に肯定的だった。
かいつまんで話しただけだったので、おそらく半分も理解できないかもしれないが、だからといって
理解できないから否定するなんてことは絶対になかった。

 「ここでこの手の話しをするときは慎重になるんですよ」
 「それまた、どうして?」
 「インターネットに対してひどく否定的な人たちがいますから。否定的なだけならまだしも、
ネットに対し肯定的な人間を攻撃・排除する傾向があって危ないんです」
 「そこまでひどいのか?」
 「ええ、ひどい人が数人います。だから、この手の話しは話題にするだけで
一触即発の危険をはらむことがあるんですよ。」
 「そんな目にあったの…」
 「確か6月だったか…。その人となにげにそんな話しになって、「ネット仲間」なんて言葉は
はなから矛盾している。ネットでなんかいくらでもうそがつける。ネットの人間が正しいなんて
思うこと自体間違っている。おまえは間違っている…と。そこまで言われました。」
 「ひどいもんだ。あの人達は年取っているからもう新しい価値観についていけないんだろうな…」
 「あの時、10分くらいお互いに沈黙してのにらみ合いになってやばかったですよ。
結局「(あなた方のいっている意味は)分かりました。」って言いました。
でも自分は間違っているとは思っていません」
 「そうだ、何も自分の価値観まで否定することはない」
 「まぁ、会社なんかどうでもいいっていうのなら、派手にやり合ってもよかったんですけどね。
くだらないことで、時間を無駄にするのはイヤですから(笑)」
 本当に、くだらないことで時間を無駄にしたくない。私にはなすべき事がある。


10月5日(木) 救いようのない…

 会社にて…。
 私の部署とは少し離れたところの手伝いをするはめになった。
 棚などを分解して、ホコリだらけの板などを洗って、ひもでまとめてトラックに乗せて
倉庫に運ぶといったものだった。
 しかも例によってすぐにやれという。
 すぐにやらなければならないような案件をむやみに作ること自体ほめられたことではない。
もっといえば、直ちにしなければいけないわけでもないのに、他のことをほっぽりださせても
すぐやらせるということ自体、愚かなことだ。
そうでなくても、外からすぐしなければならない案件がやってくるというのに。
 これ、分解してひとまとめにした棚の部品は金属製で1人で持つには難しいし、
分解できない棚をトラックに載せるためにはフォークリフトがいるぞ…。
 こうしたことは無理に一人でやらない方がいい。
 というわけで、私の部署の人に手伝いをお願いした。
 その人は快く引き受けてくれたが、その人にも今している仕事があるので、
それが終わってからということだった。しかも、その仕事はもうすぐ終わりだという。
 それなら、その仕事を手伝って早く仕事を終わらせてから、私の仕事を手伝ってもらった方が得策だ。
で、その仕事を2人で終わらせて、例の仕事にかかろうとしたときに、大声で文句を言われた。
 「どうして言われたことやらないんだ。さっさとやれ」
 私は「それをするのを手伝ってもらうために、仕事を手伝っていたんです。
人の都合を考えずに自分の仕事を手伝わせるのはおかしいですからね」
 このときはマジで一触即発でかなり危険な状態になった。
 いっそ、もっと挑発して先に手を出させた方がよかったかもしれない。
ちょっとでも反抗的な態度を取ったらもう抑えが効かないだろう。
本人は思いっきり我慢しているつもりだから。
それに、ここには信用できる証人もいたわけだし。
 しかし、私が手伝いをお願いした人が見ていることが抑止力になったのだろう。
向こうが態度を少し軟化させて、危機は回避された。

 やはり、うるさく言わない人間と一緒に作業するのは、やりやすいものだ。
「能率がいい」という言葉は使いたくないここに入ってきてから、この言葉を口に出すことを
意図的に避けるようになった。一緒に作業した人も同様で、ろくな環境をそろえないくせに
人的要素だけで能率を求めることに非常に強い反感を持っているように思う。
この言葉を避けるということはささやかな反抗かもしれない。)

 なんとかほとんど終わらせることができた。

 しかし、こうしたことでいちいち怒鳴りつける人間は許せない。
 一緒に手伝ってくれた人が言った。
「一度本気で怒ってやってもいいんじゃないか?そうでないと、いつまでもこのままだ。」
 「俺もそう思うんですが、向こうは自分が絶対に正しいって思っていますからね。
会社なんか辞めてもいいって思えば何でもできますが、今はそういうわけには…。
この手の連中は自分がしていることが間違っていたとしても分からないから救いようがないですよ。」

 別な意味で救われないのは私なのかもしれない。こんなことの繰り返しはもうイヤだ…。
怒られたりするのはしょうがない。でも、いつまでもこんなのばかりなのは耐えられない。

 でも、いつまでも落ち込んでいてもしょうがない。
 この怒りをエネルギーにして、今自分ができることをするしかない。


10月1日() 結局相性問題で…。

 9月30日の日記中でハンドルネームを書いたいのさんからメールが届いていた。

 「大本のチップを作ったnVIDIAの方からTNT2のドライバを手に入れてみれば動く…かも知れない」
という情報だった。
 そして、そのページのアドレスがあった。
早速行ってみると、各種グラフィックボードのドライバがたくさんあった。
 そこから該当するドライバを捜し出して、DLしてみる。
 画面のずれが根本的にはなおらないが、前よりもマシにはなっていた。(画面ずれが少し改善された)
しかし、描画速度がCreativeのドライバを使ったときよりもさらに遅くなっていた。
ベンチマークしてみるとやはり遅くなっており、RIVA128の方がずっと速い。
 それでも、何とかできるかもしれないということで、いのさんと一緒に同時並行して情報を集めて、
解決方法を探し続けた。
 だが、だめだった。
 結局DLしたドライバもアンインストールして、Creativeのドライバを再インストールすることになった。
 そうしたら処理速度は少しはマシになり、しかも、画面ずれが少し改善されたままだった。
 とはいえ、結局もとのRIVA128の方がマシなのには変わりなかったので、
1週間ほど使ってから戻すことにした。
(できれば、Winが壊れる可能性があることは次の日が仕事の日にはやりたくない)

 結果的は解決できなかったが、ここまで付き合ってくれたいのさんには本当に感謝したい。