講習が終わったら、すぐに免許センターを出て、帰りに投票を済ませ、家に帰った。
なんとかチャットに間にあった。今日は、推進委員会メンバー2人がいなくて、巫女さんと2人きりチャットだった(〃ω〃)
チャットが終わってから、昨日出しそこねたメールを出した。
一眠りしてからメールチェックしてみたら、もう返事が来ていた。とてもうれしかった(〃ω〃)
その後に白山神社に行った。この前の試験の件のお礼参りと、「電験3種」に関する願掛けをしてきた。
「精一杯努力するので、試験や勉強を妨げるような自分ではどうにもならない出来事が起きませんように…」と。
最近白山神社によく行く。顔を覚えられただろうか?(って誰に?(爆))
そして、12時までに家に帰った。白崎八幡宮のページの昼のチャットに出るためである。
帰ったら、速攻でパソコンの電源を入れ、ネットに繋いだ。そして昼食を取りながら待機(笑)
推進委員会チャットの一人にここのアドレスを教えておいたので、その人も入ってきた。
このまま男3人でチャット…ということになったら寂しいのだが、いつもの巫女さんが今日も来てくれた。
職業のことを聞かれたので、「謎な機械の修理屋」と答えておいた。機械の種類が分かると、不特定多数の人にいろいろばれる可能性があるからである。(だから「技能士」も何の技能士かを明言していない)
私のことに関心を持ってくれていたようなので、代わりに「後ほどメールします」と言っておいた。
試験の会場が新潟市内にあるので、バイクで行くことにしていた。バイクなら駐車場のことを
あまり気にせずにすむからである。
今日は前々から雨になると予報で言っていた。しかし、実際はからっと晴れていた。
もしかして願い(無事に試験ができるように。試験までの間疲労が軽減できるように。)が通じたのだろうか?
いくらなんでも、これは偶然だろうけど…。
午前中の情報処理能力活用検定3級はこれといって難しいところはなかった。
勉強ほとんど英検関係のばかりしていたが、この試験の範囲はすでにベースができていた。
この試験を受けたのは、情報処理関係の別の資格試験を何度も落としていたので、自信をつけるという意味で受験した。もっと上の級でも良かったが、英検の時間に重なってしまうのでパスした。
午後の試験までまだ時間があるので、新潟市内の白山神社に行った。
もうじき職場を去る同僚のためのお参りと、別れる前に贈ろうと思っていた「病気平癒」のお守りを買うためである。
いま、本当に「神頼み」を必要としているのは私ではなく、彼の方だろう。
授与所に行っても誰もいない。祈祷受付の所で言ってくれとの案内が出ていた。
というわけで、そこに行って巫女さんに「あの…。お守り欲しいのですが…。」と言って来てもらった。
あ、この人は確か…。5月のGW初めに行ったときにもお会いした人である。なぜ覚えているかというと、
結構強烈な出来事があったからである。その巫女さんがかがんだときに……が見えそうになったのであった(爆)
おかげで、いい思…じゃない。何を拝みに行ったのか分からない状況になってしまったのだった(核爆)
…ってなにをばらしているのだろうか(笑)
英検の会場には駐車場が無いので、少し離れた駅の駐輪場にバイクをとめて、あとはひたすら歩いた。
このころになると非常に暑くて汗だくになっていた。
会場内には英検2級なだけに高校生が多かった。試験開始前、近くに座っていた女子高生がうるさくて閉口した。さっきの巫女さんとはエライ違いだな。雰囲気も振る舞いも…なんて思っていた。でも、まぁしょうがないか。友達と一緒なら騒ぎたくもなるだろう…。
肝心の試験の方だが、気分的に落ち着けたのか、持てる力を全部出せたような気がする。
ただ、その「持てる力」が大したことないのが問題なのだが…。これは私の勉強不足によるものだ。
自分が努力して何かを変えようとするときに、自分のせいではない突発的なアクシデントで水の泡にされるよりもはるかにいい。そのための神頼みである。そういったものさえ無ければ、あとは自分の努力次第なのだから…。
帰ってからメールや伝言板をチェックすると、メールと伝言板に1通ずつ白崎八幡宮の巫女さんからのメッセージが入っていた。さらに、チャットログにも私に向けたメッセージがあった(*^^*)
これには正直驚いた。…ということは、この内容も読まれているのだろうか…?(^^;
あまり変なこと書けないなぁ…。とか言いつつ、また書いてるし(ぉぃ
一眠りしてからそれぞれの返事を書いた。
今回の件はきっとずっと忘れないだろう。たった1行の文章でもそこに思いやりの気持ちがあれば通じる。本当にそう思う。
どんな長文や難しそうな言い回しを使った文章でも、そこに「心」が無ければそれは意味をなさないだろう。
他の当番の人も「電話の「で」の字もない」なんて言っていたくらい本当に何もなかった。
しかし、上の人たちが延々と会議だけはやっていた。怒鳴り声ばかりでうるさくてたまらなかったという。
それが、建設的で前向きな白熱した議論ならまだしも、そうではないことは私も良く知っている。
これにはもうあきれ果てている。やるべき事はすぐに決めて行動に移すべきだ。
今日当番だった人は、資格取得やネットに関して割と肯定的な人たちばかりであったが、
さすがに暇なときに勉強しているわけにもいかず、延々と暇な時間を過ごしたのだった。
でもって、家に帰ってみたらあまり勉強がはかどらなかったので、思い切って早めに寝ることにした。
その方がかえっていい結果が残せることが多いからだ。
そして、今日。平日の昼間にチャットする機会なんてそうない。だから、12時になってすぐに入室した。
お昼ごはんを食べながら…(笑)
ほとんど同時入室で、いつものネット仲間の人も来た。
しばらく2人で話す。このまま他にだれも来なくてもそれはそれで良かった。
「ここで楽しく会話できるのならそれが一番ですよ。相手が誰であろうとも。」
そうチャットで発言したのは私だった。
この前一緒に参加していた巫女さんも入ってきた。
今日は明後日の試験に備えての勉強のために代休取った。ってことを話したら、
(合格を)神様にお願いしておきます。って言ってくれた。
試験は自分の努力でなんとかする。でも、無事に(突然のケガや急病などがなくという意味)試験できるように…というのは自分の力の及ばない部分が大きいからそこだけ神頼みで…。という話しもした。
だけど、巫女さんに神様に直接祈願してもらえるのなら、それこそ受かったも同然だ…。ってネット仲間が言った。
…そうだ。その通りだ。一生懸命努力しなければ申し訳ない。
「精神的に落ち込んでいた」理由の一つは休日出勤した日に、ネットでのコミュニケーションを完全否定されたことである。それは、「ネット仲間」の存在を完全否定されることである。物理的距離とは無関係な心のつながりを完全否定されたことと同義である。
しかし、確かにそこには心のつながりがあったと思う。
13時になって私以外の2人は仕事に戻っていった。私は勉強を…とおもったが、さっき飲んだ風邪薬が効いて眠ってしまった。
日ごろの疲れも重なっていたのか、かなりの時間眠ってしまった。
起きてから、これを書くまえに勉強しまくったのは言うまでもない。「危険物」の時は無理矢理間に合わせたが、果たして今回は間に合うのだろうか…。
いや、間に合わせなければならない。もはや自分だけの問題ではない。私の姿勢を応援してくれている人たちがいるのだから…。
会社も終わりに近づいたころ…。
「よしゆき。明日の(午後)6時ころは空いているかね?」そう聞かれた。
直前になって、人の休日に割り込むことなんかお構いなしだ。そういう所なんだ。ここは。
私「明日のその時間はちょっと分かりません。遠出するわけではないのですが…」
「どこに行くんだ?東京?」
(あ、この人にもばれているのか…)
私「いいえ」
「じゃぁ、沖縄?(笑)」
「いや、実は……君が辞めるんだわ。なんでも、親御さんの事情でな…」
私「え…。そんな…。」
「こういう事情じゃしょうがないよな。」
私「そうですよね。これから大変になりますね。いや、俺らよりも……さんが…。」
「そこで、おおっぴらにというわけには行かないが送別会を開きたいと思うんだ…。だから時間が空いているかどうか聞いたんだ。」
私「そういうことでしたら分かりました。なんとかして時間を空けます。」
しかし、結局この送別会計画は、その本人の事情で来週になった。
その本人は私がまだそのことを知らないと思っている。だから、私もしばらく知らないふりをすることにした。
その本人は、機械が出ていって空いたところをいつもより丁寧に掃除していた。
いろいろ文句言いたくなるような所だったが、それでも去らなければならないのは辛いのだろう。掃除している姿は非常に寂しそうだった。
普段なら、「俺も手伝いますよ」と言って手伝うのだが、普段のように手伝える自信がなかった。
だから、組み上げたばかりの機械を磨いていた。何回も。何回も。
仕事が終わって、昨日一緒に機械を組み立てていた人と一緒に手を洗っていながら話した。
「夏のボーナス、いくらでるね?」
私「だいたい……万くらいですね」
「それなら一生懸命資格取らんとな。資格を取れば、世間は認めてくれるから」
私「そうですね…。そうなると、若いのが本当にいなくなってしまいますよ」
「おめさんの(おまえさんの)人生だ。会社のための人生じゃない。自分がいいと思ったことをやればいい。」
「機械」が2台あって、1台ずつ組み立てていた。こういうときは、分解していない機械を見ながら組み立てていけるので割と楽だ。
一緒に作業している人が、「このネジだと長すぎるような気がするんだ。ちょっとみてくれるかね?」といったので、
下からのぞき込むようにした。のぞき込んだ機械は下部を取り外しており、不安定だったのであてものをしておいていた。「このネジでいいですね。かなり飛び出していますが…」
「こう言うところを倹約すればいいろうに(いいだろうに)」
私「全くですね、本当に…わっ!
つかんでいるところが悪かったのか、急に機械が倒れてきた。そのままだと機械の下敷きにされるので、素手でつかんで止めた。しかし100kg近くある代物なので、その態勢だと支えきれなかった。
体をひねって機械が落ちても大丈夫なところにとっさに移動し、機械はそのまま離した。
このとき巻き添えを食う人はいなかったので、それで良かった。
ガシャンいう音と共に、機械が床に倒れた。下敷きにされたら下手すれば骨折していただろう。
「大丈夫だったかね」
私「ええ大丈夫です。でも機械が…」
「あんつぁらもん(あんなもの)、壊れても大したことないんだ。元々壊れているんだし(笑)」
私「あはは、確かに…。う…」
大丈夫かと思ったら、指がさっくりと切れていて、血がたれた。
私「あや〜やっちちゃった…」
「はよ(早く)、ガーゼあててこいさ」
というわけで、救急箱のあるところまで走って、箱を開いた。
この場所が「仕事場」でなくなってから中身が補充されていない…。
その中のオキシドールとガーゼだけ使って何とかした。あとは、指を絶縁テープ(主に配線の被覆に巻くのに使う)をきつく巻いた。こうすれば止血もできるし、血が外に漏れることもない。
これで何とかなる。数日は油をさわれないが、こういう傷は大事にしていれば数日で治る。
仕事が終わる頃には血が出ない程度に傷がふさがっていた。
本当に「1秒」が大切なのはこういう、一歩間違えればけがに繋がる時だろう。こういうときにこそ、正確で素早い行動が必要なのだ。いつも「全開」ではいざというときに対応が遅れてしまう。
話しの成り行きで、6月10日のことを話した。
「なるほど。あの人達ならそんなこと言いそうだ。」
私「いまそこにある物、目に見える物しか認めないんでしょうね…。インターネットでは物理的距離なんて無意味なことで、それよりも心理的距離の方がよっぽど重要なのに。」
「あの人達にそういうこと分からんよ(笑)」
私「あのまま主張を続けたら、最後には殴り合いのケンカになるでしょう。決して歩み寄ろうとはしないんですから。だから言いましたよ「分かりました」と。「わたくしめがまちがっておりました」ではなくて「あんたらの言いたいことは「分かりました。」」っていう意味で(笑)
「そうだ、それがいい。」
「いっそ、あいつらが出した品物買っておいて、それをハンマーとかでぶっ壊すのはどうだ?(笑)」
「ノコギリで切り刻むとか。「大きいから俺の車に入るようにするんだ」とか言って。文句言ってきたら、「金払ったんだからおれの物」だって言えばいいんだよ(笑)」
私「それなら、中身がどうなっているかどうか興味があるから分解するとか。「日々勉強だって言っているじゃないですか」って言って。それか「(フォーク)リフトの練習だと言ってリフトの爪でさしまくるとか(笑)」<コイツが一番ひどいこと言っているような気がする(笑)
彼らもまた、「あの人達」に対しかなり不満を持っているようだ。
それから、「危険物」のことを一週間前に他の人に話したので、知れ渡っていたようだ。
「東京行ってきて取ってきたんだろ」
私「あ、話しが伝わっていましたか?何の資格かは知っているんですか?」
そこまでは知られていないようだった。
私「危険物取扱者乙種第四類です。新潟だと平日にしか試験やっていなくて。まさか、試験受けたいから有給くれって言うわけにも行かないし」
「いつの間に勉強したんだ?講習とか受けたのか?」
私「講習も平日にしかやっていないので、本を1冊買って完全に独学でやりました。1日1時間…それすらできなかったこともありますが、4月の始めから勉強を始めたんですよ。」
「しかし、よく取ったよなぁ。いいなぁ若いって(笑)頭がやわらかくてさ。」
私「○○さんたちも頭柔らかいじゃないですか。すくなくとも頭堅ければネットの事なんて完全否定するでしょうから。」
私「○○さんもいろんな資格あるじゃないですか。」
「あんなの、クズだよ。クズ(笑)会社でしか役に立たない資格なんてクズだ。それよりもどこ行っても通じるおまえさんの資格の方がずっと価値がある」
「いまは、会社が資格を取らせるなんてことはないからねぇ。昔は何でも取らせてくれた」
私「資格取るための費用とか、時間とかはどうなっていましたか?」
「全部会社持ち。試験のための時間も仕事の時間に入れてくれた。今は、まったくそんなのがない。」
「だめらね(ダメだね)どうしようもないわ。こんなことやっているから…(苦笑)」
私「困ったものですね。いまそこにある仕事さえかたづければいいと思っているんでしょうか?フォークリフトなら、資格(技能講習)なんかよりも、「いまそこにある」荷物をより早く挙げて、動かして、降ろせればそれでいいと思っているのでしょうか?」
「…たぶんな。」
私「そんなので事故ったらおしまいなのに。初めてフォークリフト乗った時なんて、空荷で急旋回やっちゃいましたよ。あの時は本当にひっくり返るかと思いました。でもそんなのは知識があれば、絶対にやらなかったですよ。」
このときにチャイムが鳴った。一同はまた仕事に戻っていったのだった…。
「あいつトンズラ(「逃げる」という意味)しやがった。」と…。
これには、他の年上の人が「トンズラはないだろう。あいつが何かかっぱらって出ていったみたいじゃないか?」と言った。
続けて「どうしてあいつは辞めたんだ?」
という質問に対し、あいつはもともとやる気がなかっただの、仕事がおそいだの、文句ばかり言っていた。質問をした人が欲しい答えは、「理由・原因」である。「愚痴・文句」ではない。
質問した人がもう一度質問を繰り返したが、その人は答えられなかった。
私はこのやりとりでいろいろ思うところがあったが、あえて表情にすら出さなかった。
小物の評価なんて聞くに値しない。したがって、どのように評価しても聞く耳を持つ必要はない。
だから、他の人もそのような評価なんか聞き流した。
「ところで、あいつは辞めて何やるんだ?」とさっき質問した人が私に聞いてきた。
私「なんでも、以前やっていた仕事をまたやるそうで…。詳しくは聞きませんでしたが…。」
「辞めてしまったのは残念だが、それならいいじゃないか。」
私「新しい仕事、うまくいけばいいですね。」
文句を言っていた人が何か言おうとしたが…。
「ああ、そうだな」
「そういんだ(そうだ)」
と返してくれた。
しらばっくれることもできた。しかし、そうすることは間違っている。
だからすぐに払いに行った。
床屋の人は、「良くあるのよね〜」なんて言っていた(苦笑)
ぎすぎすしているのは気分が悪いが、おおらか(すぎる?)のもなんだかなぁと思う。
不実な態度は取りたくない。「あの連中」と同じになってしまうから。
「あの連中」を(影でこそこそとでも)批判するのなら、自分は正しくあらねばならないと思う。
だから、すぐに届けに行った。
今日は会社のとある催し物があった。
私は結構年輩の人2人と一緒にそれを担当した。
その間、お客さんが来ないと結構暇なので、とある機械に関する私の知識の間違いを指摘してただしてもらった。
そうしてもらえることは非常にありがたいことだ。自分でそれをお客さんに説明しなければならなくなったときに恥をかかなくてすむ。
…が、問題はここからだった。
「…。ここがニュートラルだ。「N」のマークがあるだろう。ここに入れないで、別なところでエンジンを掛けてしまうと危険だ」(シフトパーターンがステッカーで貼られている)
私「つまり、こういう風に「N」を明示しておけば事故は防げるわけですね。」
「…?どういう意味だ?」
私「ですから、もしここにその表示がなかったら間違いを防ぐことができるということです」
「なかったら、どれが前進か後進か分からなくなるぞ」
私「?」
「ステッカーをはがしたら分からなくなるじゃないか」
私「ステッカーをはがすなんて言ってませんよ。「N」の表示がなかったら…といっただけです」
「どうして「もし、なかったら」という仮定の話をするんだ?「N」の表示をつけたのは、これを開発した技術者やデザイナー側のことだ。俺達はそこまで考えることはない」
私「もし、…なかったらどうなると考えられれば。じゃあ、こういう理由であったほうがいいのか。という理解が深まると思います」
「いや、おまえの考えは飛躍しすぎだ。よけいなことを考えてよけいに分からなくなる。今、そこにものがあるのだから、それをどうすればいいのか考えればいいだけだ。なぁ。」
もう一人の人も、この考え方に同調した。
「君の考え方は、根本的に間違っているような気がする。今のウチに直した方がいい」
そのとき私の両手は空いていた。それがその2人にとって幸せなことであったことは、その2人が知る余地はない。
はい。私が間違っていました。とは言えなかった。今後もそんなこと言うつもりはない。
しかし、一歩も引かないとガキのケンカと同じことになる。私はもうガキじゃないつもりだ。だから言った。
「(あなた方の言いたいことは)分かりました」と。
彼らには「仮定」という考え方が完全に欠落している。英検2級のテキストの「仮定法」のページを見ると、「仮定法を使うことでより豊かな表現ができる。試験に受かるためには避けることはできない」とある。
英検2級という試験の中ですら重要なのだ。それが、日本語でなおかつ仕事にも使うようなレベルの中での言葉だったら、その重要性は言うまでもないだろう。
ということは、「背理法」(数学の証明問題などで、わざと間違った仮定をして証明をしようとし、それが当然の事ながら矛盾する。「故に、○○は××でない。」と証明する手法)や「フェイルセーフの考え方」(より悪い結果が想定される中で、どのみち回避できないトラブルならより軽いダメージですまそうとする方法を導き出す考え方。例としては電気回路のヒューズがある。電気機器が壊れる代わりに安価なヒューズを切断するように設計する。最悪の事態を想定して)
そういえばオペレーションズリサーチ(OR)の定義の一つにこんなのがある。「ORとは、より悪い結果が想像されるとき、その結果にならないようにするものである」(ちょっとうろ覚えだが)
インターネットに関する話しもした。想像の範疇のことだったが、やはりこの2人はインターネット否定派だった。
ネットでの人間関係は希薄だという。私が、たとえただの文章のやりとりであっても、ずっと続ければ相手の心が見えてくる。嘘をつこうとすればいくらでもつけるが、誠実に接すれば必ず通じる。そう言っても、彼らには全く通じない。
ネットで知り合った仲間から、パソコンのパーツを買った話しや、紅茶の葉っぱをもらって飲んだ話しはしなかった。
彼らからすればそのような行為は「ただの馬鹿」以外の何物でもなく、きっと「こんな馬鹿なヤツは信用ならん」という話しまで行くかもしれなかったからだ。
また、「ネットなんて所詮手紙と同じだろ。どうしてすぐに返事をしないといけないのかどうしても理解できない。どうして、すぐやらなければいけないのか?」
……。完全にあきれた。私に対してはなんでも「優先順位最上位」でなんでもすぐにやらせようとするくせに。
また、「情報の共有」という概念も欠落…というか全くなかった。
そんなのはパソコンだけでやってればいいと。
自分で苦労して得た知識は自分の物であり、それを他人に教えるということは無駄なことでしかない。と。
そのようにして得た知識を交換しあえば知識が豊かになって、仕事もしやすくなると思う。といっても、理解できない。
理解できないのは無理もない。自分の所の社員の自宅の電話番号という情報すら満足に共有できない連中だ。情報共有などできるわけがない(笑)
私はこの人に改めて電話番号を教えたが、きっとその人にしか知られていないのだろう(爆)
それでいて、「上」は情報の重要性を言う。言うだけ無駄だというものだ。
私の「教習記」はまさに「情報の共有」の一例である。誰かが私の発信した情報に基づいて行動し、結果を出した。
その結果を私はメールで知った。私はそれに基づき、もっと詳しく書いた方がいい点を書き加えた。
自分で言うのも何だが、こういう人間の命令に従わなければならない自分自身が不憫だ。自分自身を恥じたくなる。
こういう仮定の話をしたくなる。
「このままの状況を続ければ、いい結果がないであろう」
「だからどうすればいいか」
…。そんなのは決まっている。
仮定をすれば、自分が何をすべきか見えてくるものだ。
こういうことの後は心がすさんで寒くなる。だから、この前頂いた紅茶で心を暖めることにする。
このパソコンの入手経緯、紅茶の入手経緯、…。色々なことに、色々な人と出会ったことに思いを馳せながら…。
彼らには決して理解することも見ることもできないこの「絆」、それは確かにあるのだ。
「…それに、彼女できたら報告したいし。いつになるか分かりませんが…」
「早く報告しろよな〜」
そんなやりとりをしていた。
昼食後、私はかつての事務所にいた。昼休みくらいは現事務所に居たくない。そう思う人が今でも昼にここに集まってくる。この場所の「主(あるじ)」が去ってしまった今もなお、ここは休息の場なのだ。今日はここに3人いた。
1人は40代くらいの前に同じ部署の人、もう一人はすでに定年退職しており、パートの身分でここに来ているかつての私の部署の人(つまり大先輩)、もう一人は30代くらいの営業の人だった。
私は何十枚ものフロッピーディスクを持ってその部屋に来た。明日の催しものでフリーマーケットに出すので枚数を数えなければならない。
「おい、よしゆき。それなんだ?」
「フロッピーディスクですよ。パソコンなんかでデータを保存しておくヤツです」
「それ新品か?」
(そのフロッピーディスクにはラベルが張っており、ラベルに書かれたファイル名などは塗りつぶしてあった)
「いえ、これは前に自分のパソコン用のバックアップデータが入っていました。全部消したので、また使うことができます」
「全部で80枚くらいあります。2000年問題で何かあるかもしれないので1日がかりでバックアップを取ったんですよ。でも、先週CD−Rを手に入れたので、その必要がなくなったんですよ」
「それまではデータに圧縮かけた上でフロッピー一枚に入るように分割保存していたんですが」
(やっぱりCD−Rの説明をする羽目になった(笑))
「おめさん(おまえさん)の言っていることほとんど分からんぞ(笑)暗号みたいだ」
「これって、自分のデータか? そんなにデータってあるものなのか?」
「インターネットでえっちな写真とかをとってきてるんだろう(笑)」
「いえ、これらは主にネット上の友人のホームページや電子メールのバックアップなんですよ。(ICQのことは言わなかった。説明がややこしくなるから(笑)やりとりが多いからすごい数になって…」
「インターネットって楽しいのか?」
「はい、ネットで知り合った友人がたくさんいます。文字だけのやりとり(主にチャット)ですが、慣れてくると相手の気持ちが分かってくるんですよ。不思議なんですが…。」
「そういうものかぁ…。これはやってみないとわからないなぁ…。でも、インターネットって難しそうでなぁ、かといってこの年で新しいことを習うってのもなぁ。」
「昔は本当に難しかったようですが、今ではセットがだいぶ楽になりましたよ。習うと言うより、楽しんでしまえばいいんですよ」
「こんど、パソコン買ったらよしゆきにセットしてもらおうか」
「おまえの場合、パソコンのセットやパソコン教室みたいなことやるといいかもな。昼はここで働いて、夜はそうして商売するってかんじで…。初めのうちはさ。」
「儲かるかもしれませんね。実際にそうしたしごともありますし。でも、「俺から金取るつもりかぁ」なんて言わないでくださいね(笑)」
「鬼教官にならんでくれよ。竹刀とか持って「こんなんも分かんのかコラぁ!」って(笑)」
「この3人に対してそんなことしませんよ〜。でも、日ごろ作業効率云々いって私にうるさい連中だったら、やるかもしれないですが(笑)「さっきも説明しただろうが。聞いてなかったのか?よくこんなとろい事やっていて作業効率云々なんて抜かしてくれたよなぁ。おい。」とか言って」
(爆笑)
この3人はインターネット(というかパソコン全般に関してはほとんど知らないようだが、知らないからといってパソコンや、パソコンを使う人間に対して否定的でなかった。おもしろそうだが、難しそうだなぁと思ってやらないだけ。それならまだいいのではないか?人のやることに対してすぐに否定的な意見を持つわけではないから。
「ネットでの出会い」に関して肯定的な考えを示してくれたのもうれしかった。
…チャイムが鳴った。そいういえばフロッピーを数えなければならなかったのだった。話し込みすぎた(笑)
慌てて数を数えるはめになった(自爆)
それを聞いた他の人は言った「次が見つかっていればいいこってね(いいじゃないか)」と。
「残念です。寂しくなります」これは私が言ったこと。
その人がここに来てから1年たっていないが、なんだか私よりも前からいたような気がする。どうしてだろうか?
単に仕事がイヤだからやめるのではなく、よりよい環境を求めてやめるという、積極的な転職だったら本人にとってもきっとプラスになると思う。
帰り際に1級技能士に受かった人、この人、そして私で話しをしていた。
私「技能士の認定書の入った封筒の中のチラシに「自信と誇りを持って大いに活躍しましょう」ってありましたよね」
「そうだ」
私「技能士の技能試験の際に、同業者の若手がいたんですよ。だから、…勝ち負けの問題ではありませんが、「負けてたまるか」とおもって試験に臨みました。受かったわけですから、すくなくとも負けませんでした。これが自信に繋がり、誇りを持つってことでしょうかね?」
せめて、自分のやっている仕事には誇りを持って自分自身に自信をつけたかった。ただそれだけの気持ちで努力していたのだった。
そこへ、この人はこう言った。「んなことよりも、早く彼女作れよ〜。そっちの方が自信がつくぞ(笑)」
「そうだ、資格もあれば豊かになれるし、時間もできるから、すぐにできる」
この2人の言うことは、スタンスこそ違うが的を得ていると思う。
「すみませんねぇ、「彼女できた」って話しをしたかったのにそれができなくなってしまって…」
「まぁ、若いんだから何とでもなるよ〜」
「そうだ」
この2人の返事は2通りの意味を持っていたのではないか。そう思う。
家に帰ってみて、母親から技能士認定書などが入った封筒を受け取った。
2級の技能士認定書と技能士章と、数枚のチラシが入っていた。
そのチラシにはこうあった「卓越した技能は国家の宝」「技能士は、技能検定(国家試験)に合格し、国が公証した立派な技能の持ち主です。」
また、「技能士を大切にしましょう。(中略)技能が高く評価され、技能士がその能力にふさわしい社会的地位が保障されることが大切です」ともあった。
私なんてそんなにすごくないよ…。それなら、もっと評価されるべき人が私の回りにたくさんいるよ…。
そう思った。
技能士認定書と技能士章はそれ自体は、たかが紙や金属のかたまりかもしれない。危険物取扱者の免状はそれ自体は単なるプラスチックのカードである。
しかし、能力を身につけようと努力して結果を出した。それを示してくれるものだ。
小手先のその場でしか使えないその場しのぎの技術や、目先の問題しか解決できないような技術(言ってみれば「底の浅い技術)は、そうした紙や金属のかたまり、そしてプラスチックのカードにすら劣る。
ただ、そんなのではなく、5年や10年ではものにできないような「底(ふところ)の深い技術」は資格だけなのよりもずっとすごいと思う。
この人は「資格は一生の宝だ。持っていれば何かの役に立つだろう」と肯定的だった。
あとで、「○○さん(この資格を私に勧めてくれた人)。よしゆきくんの危険物の資格って、どんな風に分かれているんだ?」と、他の人がいる前で言ってしまったのでよけいにばれたかもしれない(汗)
このあとでその友人と話し続けたが、「自分が知っていることは、当然相手にも一回で言葉で伝わる」という前提でしか話しができないヤツが会社に結構いる」これはお互いに経験済みだった。
こういった手合いは、相手も自分と同じ能力・経験・価値観…などを持っているという前提で相手に言葉を投げつけているだけだ。つまり、コミュニケーションを成り立たせようとする努力をしていない。
以前、大学時代にインターネットに初めて触れてメールをだしたりしたときにそういった失敗をした。
相手も同じパソコンを使い、同じメーラーを使い、同じような通信環境(専用線)という前提が何の疑いもなしに頭の中にできており、それで先方に迷惑をかけてしまったことがある。
その失敗はそれ以降ページ作りにも、ネット上のコミュニケーション(チャットなど)にも活かしている。
家に帰って早速セットアップ。いままでのCD-ROMドライブを取り外して、このCD-RWドライブを取り付けて、
電源を投入。いつも何かしらトラブルがでるのに(でもって、何とか動くようにするんだけれど…)今回は本当に説明書通りに全てうまくいった。
PlextorManagerのインストール。その後にライティングソフト(Bs'Recoder
Gold、B's CLiP) のインストール。
これらもうまくいったので、早速自分のHDDの中のバックアップ(フリーウェアやゲームの体験版のアーカイブなど)をバックアップして、今後作業できるだけの容量を確保した。CD-Rに突っ込みすぎて失敗もしたが、おおむねうまくいったようだ。しかし、セッション情報が入らないくらいデータを入れてしまったので通常のドライブでは読めなくなってしまったが、まぁいいだろう。自分しか使わないわけでもあるし(^^;
そのあとで、割と頻繁に変わるデータ(メールなどのバックアップ)をCD-RWに書き込んでみたり、
ネットに繋いだりして高負荷の時に焼いてみたりした(こっちは完全に失敗した)
いろいろやってみたところ、私の環境では焼いている最中は何もしない方がいいことが分かった。
SCSIのHDDがあればきっとネットに繋いでいる最中でも何とかなるだろう。
(チャット中に、「いまR焼いてる」なんて言っていた人を何人も知っている)
しかし、これだけでもこのパソコンでやれることが十分広がったように思う。
やはり投資すべき時は、しっかり見極めた上で一気にやるべきだ。下手にケチるとロクなことはない(笑)
やばい…。さて、こういうときはこのネジを取らなければいけないが、いくつかの方法がある。
1,折れたネジにダブルナットをかけてそれで抜く方法。
2,折れたネジをバイスプライヤーでつかんで回して抜く方法。
3,折れたネジの頭を金鋸で削ってマイナスドライバーが入るようにして、それでドライバーを回して抜く方法。
4,折れたネジの4方をヤスリで削って、プライヤーで回して抜く方法。
5,折れたネジの根元を金鋸で切って、ドリルで埋まった部分に穴を開けたうえで少し大きいタップを立てて新しいネジ山を作って、いままでよりも少し大きいネジを入れる方法。
まず、1の方法。ダブルナットはかかったモノの、ナットのネジ山がダメになってしまって(つまりそれだけ堅く締まっている)だめだった。
次に2の方法。バイスプライヤーでつかんで回す…。滑って回らない…。これもダメ。
その次に3の方法。金鋸で削れたモノの、ドライバーで回すと頭がつぶれてこれもダメ…。
4方法も滑ってダメ。さて…。こまった。と思ったら丁度15時の休憩になったのでひと休みする事にした。
休んだあとならきっといい方法が思いつくかもしれない。
さて、普段から「作業能率がどうの」とか「もっと早く手を動かせ」とかうるさいのがいない。もし、このことがその人にばれたら、さぞかしうるさく言われることだろう。
「ネジ切っちゃったんですよ〜」なんて話しもしても問題ない。
「手伝おうかね?」と言ってくれた人がいたが、本当はこの人も忙しい。
「いえ、もう少し自力でがんばってみます」
そのあとで、どのネジが折れたかなどの状況を話した。
「それならプーリー抜きで抜いてしまえばいい」
あ、なるほど。そうすればネジにかかっている力が減って、ネジがゆるみやすくなる。
それに、外して作業場に持っていくこともできる。
休憩が終わってから、早速プーリー抜きを持ち出して、そのプーリーを抜いた。
そのあとでネジを外そうとしたが、外れない。もしかして中まで錆びてるんじゃないか…。
しょうがないので、そのプーリーを作業場まで持っていった。
で、そこでもいろんな工具使ってやってみた。工具の種類はよそに比べて少ないとはいえ、それでも向こうで作業するよりも断然やりやすい。
…が、それでもかたくて外れない。結局手伝ってもらう羽目になった。
慣れている人が作業して30分くらいかかってようやく外すことができた。ちなみに私が試行錯誤しつつ作業したのは1時間半くらいだった。
もし、この様子を前述の人、もしくは「最もこうした無駄な作業に対し文句を言う人」にばれたらえらいことになっていた。
きっと言うだろう「君たちの時間給(月給から換算して)は……円だ。従って、……円分も時間を無駄にした」と。
しかし、そんな考え方は愚かだ。その瞬間の事象でしか物事をとらえていないからだ。
そうではない。その2時間で新しいことを学んだのだ。今度はネジを切ることも少なくなるだろう。例え切ってしまっても、自力で何とかできるようになるだろう。それは無駄なことだろうか?
自力でやれるということは、他人が切ってもその人を助けることができるということでもある。
目先の作業能率に目を三角にして追求することになんの意味があるのだろう。
もしそんな環境に幻滅して職場を去ってしまったら…。経験と技術と一緒に。
それこそ無駄になるのではないのか?
ウチの部署は、こうしたことには寛容…というか、目先のことにしかとらわれないような愚か者はいない。
だから、のびのびと技術を身につけることができる。
まぁ、「例の人」がなぜかこっちまでは来ないからだろうが…。
仕事が終わったあとでプーリー抜きのことを話してくれた人が「ネジって切ってみないと加減が分からないからねぇ。いい勉強になっただろう。」と言ってくれた。
「切れる瞬間の感じとか、切れたときの直し方とか覚えることができましたよ。時間かかりましたが…」と返しておいた。
ウチの部署はこういう人ばかりだから、こんな状況の中でまだやっていける。もし、みんな目先しかとらえられない人間ならば、私はもう完全にイヤになっていたことだろう。
他人の失敗に対し説教するのは、失敗した人よりも立場が上の人間だったら誰でもできる。しかし、他人の失敗を活かし、直すのを助け、失敗した人を成長させることができるのは本当に技術と人格のすぐれている人だけである。
心底そう思った一日だった。
というわけで、自分自身への「ごほうび」を今度の休みに買いに行くことにした。
一気にお金が使えるのは月に1回かそこらなので、せめてその1回だけは楽しみたい。