プロローグ

1995年8月24日
 私はこの日、普通車の卒検に合格した。

 私は自動車学校の人に、普通車の教習が終わった後に今度中型二輪教習を受けたいからその前に教習車の取り回しをさせてほしいと頼んでいたのだった。
 私が指導員にそのことを頼んだ時、彼らにすごく驚かれてしまった。まあ、無理もあるまい。

 私は身長が155cmしかない。そして普通車の教習で私の運動神経の悪さがバレてしまっている。コイツに中型二輪免許が取れるわけがない。そう思われて当然だったかもしれない。


 しかし彼らのうちの、2人の指導員が自分たちの昼休みをつぶして私の願いをきいてくれた。

 この自動車学校の中型二輪教習車はヤマハ・FZ400R−Lであった。それはシート高785mm、乾燥重量166kg(装備重量約180kg)という代物である。私にとってそのシート高は高すぎた。ミントの3.5倍はある車重はあまりにも重すぎた。

 取り回し、センタースタンド掛け、転倒車両の引き起こしをやらせてもらったが、どれもうまくできなかった。そればかりではなく、ひどい筋肉痛になった。また、足はかろうじてつま先が地面につくが、バイクを支えることなどとてもできそうになかった。そして、FZのクラッチレバーが非常に重く感じた。(今考えれば、重く感じたのは単に筋肉痛になっていたからだと思う。本来の私の左手の握力は40kgくらいだ。)

 指導員の一人は私にこう言った。「君がどうしても自動二輪免許を取りたいのであれば、まずギアチェンジのできる原付に乗って、それに慣れてから小型二輪免許を取ればいい。そして125ccで飽きたらなくなったら中型二輪免許を取ればいい。」


 二輪コースを出たあとに、もう一人の指導員が私に言った。「君は自動二輪に乗るのには向かない。それなのにどうして君は二輪免許を取りたいと思うの?身長低いのに。」その言葉には明らかにとげがあった。
 その問いに対して私は語気を強めて「それはバイクが好きだからです。その理由は分からないけれど。ただ、これだけははっきり言えます。たとえ自分の身長が低くてもバイクが好きであるということ自体は決して悪いことじゃないし、他人に迷惑をかけない限り、他人から非難される筋合いもない。」と言ってやった。
 彼は「君はどうしようもないほどがんこだね」と言ったが、私はその言葉を無視し、別れ際に、的確なアドバイスをくれた指導員にだけ「ありがとうございました」と礼を言い、低身長者差別論者(?)を思いっきり睨みつけて、その教習所をさっさと後にした。

 正直言って、私はどちらかというと物事を悲観的に考える傾向にある。しかし自分が本気で好きになったものに関することには楽観的に考えるように努力する。だから「中免は無理」と言われたくらいで自分の考えが変わるわけがなかった。


 この1カ月後に親切な指導員のアドバイスに従い、NS50Fを買って練習した。クラッチ操作は意外にも簡単にマスターしてしまった。また、車重の重いバイク(NSはミントの約2倍の車重がある。当時は重く感じた)でも慣れればほとんど足に負担がかからないことも分かった。これならいきなり中型でもいけるぞと思った。

なぜか?

 NS50Fは原付にしては大きくて、普通の小型二輪なみの車格がある。つまり小型二輪教習を何時間もしているのと同じことになる。しかも路上で。
 それならば、中型二輪はそれよりも少し難しいだけなのではないか。と思ったのだ。

 しかし、このような確信を持てるようになったときには既に雪が積もって教習ができなくなっていた。


1996年3月下旬
 新潟駅の南口側にある、とあるパソコン店に行ったとき、この店のそばの自動車学校で中型教習車を見つけた。その教習車には教習生が乗っていた。それを見た私は無性に腹が立った。当然である。例の自動車学校にさんざん待ちぼうけを食わされていたのだから。
 

 しかも、その自動車学校が待ちぼうけを食わせている理由が「ある程度の人数が確保できるめどが立たないと教習が始められない」だったのだ。そっちはそっちの都合があることは分かる。しかし、こっちにはこっちの都合がある。春休みが明ければ私は忙しくなるのだ。
 私は、例の待ちぼうけを食わせまくった自動車学校ではなくて、この自動車学校で中型二輪免許を取ることにした。


中型自動二輪教習記・第1段階

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