大型特殊教習記・エピローグ

 
 大型特殊免許を取った。これが何の役に立つだろうか? まず役に立つことはないだろうと思う。大特車を運転するようなバイトでもするならば別だろうが、そんなバイトなんかまずあるまい。
 では、大型特殊免許を取ったのはただの金の無駄使いか?…決してそうは思わない。
 「大型特殊教習記・プロローグ」でも書いたが、今までの人生、どんなに努力しても報われないことが余りにも多すぎた。他人と同じことをしても自分だけ上達しない。だったら他人以上に努力すればいいだろう。と、思うかもしれない。他人以上に努力しても上達しないことが多すぎるからこんなことを書いているのだ。
 そんなわけで、自分だけができなくて、他の人だけがすごくできるということが何度も起こる。特に体育ではその傾向が非常に強く、嫌な思いを何度もしてきた。どんな思いをしてきたか表現するのに適切な言葉が見つからないので、ただひたすらつらかったとだけ言っておく。
 「学校を卒業すれば体育なんて関係ないよ」と何度も言われたことがある。そんなことは前から知っている。確かに関係なくなるが、その事実(記憶)だけが一生残るのだ。それだけの目にあってきたのである。
 「他人にはできて、自分にだけできないこと」があってつらいのなら、逆に「他人にはできなくて自分にはできること」があれば、少しは気分が楽になれると思った。
 これが、大型特殊を取ってみたいと思ったきっかけである。
うちの大学の学生で大型特殊を持っているのは私くらいだろう。大型特殊免許が将来何の役に立たなくても別にいいのだ。体育だって大半の人にとっては役に立たない。それと同じである。
 
 今度はS自動車学校の入校金免除が生きているうちにお金を貯めて、大型免許を取りたいと思う。これも何の役にたつか分からないが(大型特殊免許よりも役に立つだろうが・・・)別に構わない。その時は「大型教習記」を書くつもりである。
 さらにその次はけん引免許を・・・。(大学を卒業するまでに取れるだろうか・・・)
 (結局学生のうちには取れませんでした。社会人になってからがんばるつもりです)
 
大型特殊教習記 -完-

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最終更新日1999年2月25日