鍛冶屋闘争記

『刻書界の大斗・小林石寿先生を哭す』
ー小林石寿先生との闘いー

『こうして栄としの印刀・鑿は完成した』

佐藤栄としノミ製作所





○小林石寿って知ってる?

小林石寿という名は、あまり有名ではないので、ご存知ない人の方が多いであろう。
木耳社の『刻書技法ー立体書道への道ー』(昭和61年3月15日。二刷)著者略歴によると、名は徳太郎、大正5年、埼玉県深谷市に生る。
書は上田桑鳩・大沢雅休に師事し、刻印・拓本に及ぶ。
草丘・並びに石寿と号す。
刻書は独学にて個展7回開催。
目下、古硯・古印材等書道文具の研究に集中。
写真歴45年、主として文化財撮影を続ける。
著書に『図説石印材』『拓本技法』『拓影展大甲骨文字字典』『拓影展大金文字典』『刻書技法講座』『篆刻技法講座』『五体篆刻字典』(以上 木耳社)等がある。



○石寿先生との出会い

昭和62年3月に、書道雑誌『墨』に初めて広告を出した時に、問合せのハガキを11番目に頂いたのが最初でした。
当時、小生は既に『刻書講座』『篆刻講座』等を読んでいたので直ぐに御本人だと分かり、早速、石寿先生に面会を申し込み、4月12日の消印で返事が届き(ハガキNo.1)4月19日にお宅へ伺い懇々と教えて頂きました。

ハガキNo.1


新潟では、やっと早咲きの櫻が咲き始めたばかりなのに、埼玉では既に櫻は終っていた。
現在の新しい深谷駅ではなく、昔の深谷駅を下り、約束通り電話すると数分で前方から熟年の方が歩いて来られる。
「佐藤さんかい?」とソフトな言い方で声をかけて下さったが小生は、田舎から出てきた兄チャン(当時31才)である。
コチコチに緊張して何を言ったか覚えていない。