鍛冶屋闘争記


○やられっぱなしではつまらない

石寿先生が使われていたノミで一番巾の広いノミは、三寸二分(約9センチ6ミリ)である。
そこで、三寸五分(約十センチ五ミリ)を鍛えて「どうです。使いこなせますか?」
とは手紙には書かないが、挑戦的試作品を送り届けた。
平成2年の秋頃だったと思うが、続けざまに、4寸(約十二センチ)の特大ノミを鍛えて、挑戦状を叩き付けてやった。
一ヶ月が過ぎニヶ月が過ぎても何の音沙汰も無い。
「やっぱり使いこなせなかったな」と、ニヤニヤしていると、年が明けて四ヶ月ほどしてから、
返事とともに四寸の特大ノミを使用しての作品が届いた。
手紙には、「四寸ノミ切れ味よろしく、これから活用致したく思います」とあり、
「敵もなかなかやるな」と、舌をまいた。

なんせ当時の石寿先生は、75才位であった。
その本物の技術・見識・体力には改めて敬服し、尊敬した。
真の創作家というのは、こういう人を指すのであろう。

四寸ノミを使っての作品




○先生、九泉に奔す

ここ数年来、石寿先生は体調を崩され病床に伏されていたが、二十世紀の最後の最後、12月30日に満84歳で天寿を全うされ、法名を徳蔵院照譽石寿居士と申され、31日に告別式が行われたと御令嬢からお聞きした。

快晴の1月中旬の埼玉から、大雪の越後へ帰る車中、脳裏に浮かぶのは祭壇の写真(石寿先生が事前に準備されていた)のニヒルな顔と、懐刀のかわりに置かれていたノミであった。
このノミは、石寿先生と改良を重ねていた頃に鍛えさせて頂いた刻書ノミの五分であった。
15年ほど前のノミなのに、錆ひとつ浮いていないのは驚嘆させられた。


また一人、斯界にとってかけがえのない巨星が消えたことは残念でならない。
最後に拙作の挽歌を記し、小林石寿先生のご冥福をお祈り申し上げるとともに、斯界の更なる発展を祈念して終わりとしたい。

合掌


晩年の石寿先生とお弟子さん


挽小林石寿先生


三代吉金先著鞭。 雕蟲篆刻硯材穿。
回顧只有千秋業。 子々孫々永寶傳。





この文章は以前、「墨に遊ぶ」に掲載されたものの再録です。