DOS/V自作機「絆」製作エピソード


 私は現在のマシンを使う前はPC9801FXという、6年ほど前のマシンを使っていた。
このマシンにモデムをつないで大学のサーバにアクセスしてインターネットや電子メールを使っていた。
通信ソフトはhtermという1990年モノの代物を使っていた。このソフトでシリアル接続(無手順接続)していた。
大学のモデムサーバ内のTelnetコマンドを使って、学内ネットワークにつないでそこからテキストブラウザの
Lynxやメーラーのmnewsを使っていた。ファイルをダウンロードする際には、大学側のワークステーションを
遠隔操作しishでテキスト変換してから、catコマンドでそれを表示し、それをhtermのログ機能でログを取り、
自宅のパソコンでバイナリ変換して使うという、今考えれば非常に面倒な方法をとっていた。



 去年の10月頃から、この環境でチャットをするようになった。「馬車道オフ」のきっかけになった「袴っ娘推進委員会」のチャットである。「袴っ娘」とは「袴が似合う女の子」のことをさす。このチャットに主に集まる人たちはそういった娘が好きな人たちで、いわゆる「服装フェチ」ではない。あくまで、そういった服装をしている娘の内面を重要視しているのである。私も意外と(?)そういうタイプの娘(清楚で思いやりのある娘)が好きだったらしく、すぐにここの常連とうち解けて話せるようになった。(多分そういうタイプの娘が好きなのは、虚飾で身を飾り自分が気に入らない男に対して徹底的を冷たく扱う女に何度も冷たく扱われたからだろう。また私はそういう女のご機嫌取りをする気はみじんもなかった。)
 ところで、相互に信頼がないとこの種の話はなかなか出来ないと思う。バイクマニア同士で「俺4ストがいい」とかいうのとはちょっと違うと思う。また、チャットでは顔が分からないからと言って、自分のことを誇大に表現したり、人の好みをバカにしたりする人もここではいなかった。むろん、全く生産性のないケンカもなかった。後で考えてみるとそういった信頼があったからこそ、「絆」の製作ができたのではないか。


 ところでシリアル接続でTelnet使ってLynxで…。というのは通常のプロバではできない。また、PC9801FXでは一般的な接続方法である、PPP接続ができない。したがって、大学を卒業するまでに、PPP接続できるアプリがあるパソコンを買うか、卒業とともにインターネットをやめるかのどちらかを選ばなければならない。
 このことをチャットで話した。
 パソコンを買えばそれですむのだが、それができるほどのお金もなく、まとまったお金を稼げるほどのバイトもできなかった。(卒論などがあったため)
 これをふまえて、いくつかの案が提示された。1つめはCPUが486以上でWindows95が動くPC9801を中古で買って、なんとかインターネットができる環境を整えるという案。2つめはDOS/Vのパーツを寄せ集めて自作する方法であった。
 大体CPUが486(50Mhz以上)、メモリ16MB以上、256色以上表示可ならなんとかなるというが、問題点もかなりあった。
 1つめの案の問題点は中古とはいえ性能の割には高いということ、2つめの案の問題点は自作に関する知識が全くないことであった。なにせ、「マザーボードって何?」とか「グラフィックボードって絶対に必要なの?」(昔の98みたいに、16色表示のマシンを256色表示にする…。というイメージがグラフィックボードにあったから)というレベルだったからだ。
 11月下旬に転機は訪れた。「袴っ娘推進委員会」の管理者の¢お小夜さんが12月下旬に自分のマシンをグレードアップするので、その際に余るマザーボードなどを譲ってもいいという話が出てきた。また、常連のさくらさんが自分もサウンドボードをグレードアップするので、それとマウスを一緒に譲ってもよいという話が出た。これらの話はチャットに参加しているそれ以外の人も見ているので提示された金額が妥当かどうか、パーツの互換性は大丈夫かなどの情報も得ることができた。後で自分でも本を買って自作機に関する勉強もした。
 さらにその後見たソフマップの広告で、15インチディスプレイとATXのケースが安売りされているのを見て自作する事を決めた。ディスプレイは約1万8千円で、ケースは約8千円だった。
 チャットですでに一部のパーツを買ったことを伝え、具体的に何をいくらで譲ってくれるのかの交渉をチャット内でやった。¢お小夜さんからはマザーボード、CPU(Pentium200MHz)、メモリ64MB、キーボードなどを譲ってもらうことになった。さくらさんからはサウンドボード(サウンドブラスター16)とインテリマウスを譲ってもらうことになった。いずれも宅急便で送り、送金は動作確認後でよいことになった。
 さらにラッキーなことはつづき、常連の二槍さんから20倍速CD-ROMドライブ(SCSI)、SCSIボード、モデムカード(56Kbps)などを譲ってもらうことになった。彼のパソコンが致命的な故障を起こし、新しいパソコンを買ったのでパーツが大量に余ったそうだ。結果的とはいえ彼の不幸が私の幸運になった形になり、なんだか複雑な気持ちだった。
 また、友人からはスピーカーと8倍速CD-ROMドライブ(ATAPI)を学食1食代で譲ってもらえることになった。さらに別な友人からは故障していて一部の領域が使用不可、スレーブとしてのみの使用は可という代物の4.3GのHDD(IDE)をもらった。
 チャットでは、「なんと運のいい人だ」とも言われたりした(苦笑)、そのほかに¢お小夜さんに聞いてみた「「袴っ娘推進委員会」を立ち上げて、渚ちゃんたち(推進委員会のマスコットキャラの巫女さん)を描いたりするのに使ったパーツを手放すことになりますが、本当にいいんですか?」と。これに対し「私は新しいマシンに「渚ちゃん」と名付けてかわいがりますから、よしゆきさんは、このマザーボードを使ってできたマシンをかわいがってください」との返事が返ってきた。


 ネット上でいろいろなパーツを調達できたものの、不足している必須パーツはまだまだあった。グラフィックボード、FDD、ブート可能な(笑)HDD、各種ケーブル類だった。
 グラフィックボードはVRAMが2MBのもので妥協し、FDDは3Modeのものを買い、HDDはIDEの2.1Gを買った。
 一番はじめに到着したパーツは¢お小夜さんのマザーボードなどだった。とりあえず、これだけでも自分で買った新品と一緒に組めば、BIOSのチェックくらいはできる。CPUはマザーボードにささったままだった。数日前にはこのマザーボードは正常に動作しており、これらを売る話をチャットでしているときに働いていたのである。これほど確実な保証もないであろう。発売されたばかりの新品よりも信頼性が高いと思う。数日後にはさくらさんからのパーツも届いた。二槍さんからのパーツは都合によりだいぶ遅れたが、友人が激安で売ってくれたCD-ROMドライブのおかげでインストールも無事にできて、特に問題なく起動することができた。
 ただ、TCP/IP関係の設定でうまくいかなかったことがあって、ネットワークに接続できるようになるのには少し時間がかかったが、これも98でチャットしながら解決方法を教えてもらい、無事に設定することができた。
 カラー表示ができるブラウザが自分の手によって、自分の家で起動し、チャットできているのは感動的ですらあった。
 初めてこのマシンでチャットしたときの第一声(?)は確か「みんなの袴の色(名前の部分の色をこのチャットではこう呼ぶ)が初めて分かりました(笑)」だった。


 このマシンの核になるパーツを比較的安く調達でき、調達前・後のサポートも充実していたからこのマシンが無事に動いたと思う。チャットの人たちの「絆」がこのマシンを作った。私はそういった「絆」をチャットに求め、今後のネットワークに求めた。だからこのマシンの名前は「絆」にした。
 最近インターネットを悪用した犯罪の報道がよくなされているが(もっとも本当に「ハイテク犯罪」と呼ばれるものはほんのわずかなのだが…)私はインターネットを正しく、そして自分の生活を向上するために活用した。また、こうして値段の交渉などができるということも知ることができたことは私にとっては大変重要なことであった。相手がまともな人だったら、話せば分かるし比較的高価な物の売買の交渉さえもできるのである。以前は他人とうまくいかないのは全部私のせいではないのか…。と思っていたのだが、そういったことを払拭することができた。


パソコンのページに戻る

最終更新日1999年3月15日